橘曙覧を読む、その2
ロビン・ギルさんからコメントを頂戴して、吉岡生夫さんのサイトを読んだりしていました。
何分にも不勉強な私には、狂歌と和歌の違いもよく解っていません。
超・ざっくりした私の理解では、江戸時代に一世を風靡した狂歌は「戯れ歌」の類として庶民のインフォーマルなものとして自由自在に謳歌される代わりに「正統」とか「正式」なものではなく格下として扱われ、和歌はその逆というか、江戸時代においても生息を続けていたお公家さんたちを中心とする様式的なフォーマル世界で、細々と「正統」として生き残っていた…という感じでしょうか。それが明治の近代短歌の登場によって一つの「短歌」という形式に集約された、と私は思っています、なんとなく。
たぶん、現代の音楽シーンにおける「クラシック」と「ポップミュージック」みたいな感じじゃないかと。
で、こういう区分けされた分野って必ずグレイゾーンというかクロスオーバーというか、その両方をまたがりたがる人とか行き来したがる人がいるので、厳密に区別できるものでもないんじゃないかと私は思ってます。
そして、江戸時代といえば、私の興味は橘曙覧。幕末の人ですので。
いちおう、橘曙覧という人は狂歌の歌人ではなく和歌の歌人、ということになっているんだと思ってます。
ご本人が「橘」を名乗ってらっしゃるくらいだし。
でも、橘曙覧って、田舎の国学者として清貧の生活を送っていた人なんですよね…。
私のイメージでは「菜根譚」の後集を具現化したような人が江戸時代末期の北陸に生まれて和歌を詠んでた、というような…。
都のお公家さんとは程遠い日常だったんではないかと。
だから、私は橘曙覧の歌が好きなんですけどね。
で、橘曙覧の歌の中には、これって狂歌に近いんじゃないか?というような歌もあったりします。
「独楽吟」がわかりやすいので、そこから一首、引用してみます。
591. たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき
「嫌な人がやってきた。でも長居せずに帰って行った。やったーっ!!」っていう歌、ですよね。
この歌って、狂歌っぽくありません?
本日はここまで。
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