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2012年1月 9日 (月)

お休みの日の着物

お正月も着物を着ていたが(ポリの派手目なヤツ)、今日が今年初の普段着物。
ずっと家にいても構わないような休日。
いつもの木綿縦縞(紺)に木綿博多半幅帯(黄)というお気に入りの組み合わせ。

こういう着物を着ると、日頃来ている洋服っていうのが私にとっては服というよりはコスチューム、
そしてその洋服を着てコスプレをしているかのように思えてくる。

他人にどう見られるかを意識して、他の人たちに受け入れやすい人物像を演じるためのコスチューム。
誰が見ても「それっぽく」見えるような、わかりやすい服装、それが洋服、という時代。

仕事上の服装なんかがその最たるもの。
それなりの制約が課された中で着る服を選ぶ。
学会や研究会には和装でいくけれど、通常の職場(病院)には決して着物では行かない。
いかもに仕事ができる人物に見えるよう、髪をまとめ、黒縁眼鏡をかけて。
確かにそれは私の一部ではあるし、その中で「私らしさ」という個性を表現はしているのだろうけれど。

昨日は洋服で家事をしていた。
フリース素材でブラウンの膝丈ワンピースに、黒のレッグウォーマーをつけて。
いかにも主婦っぽい(笑)と私が思ってる洋服。
職場の同僚でもある友人が家にたまたま来て「仕事の時とぜんぜん雰囲気が違う~」と言って。
…そりゃそうだこの恰好で職場に行くことはありえない。
主婦役割のための洋服は、機能的(動きやすい、働きやすい)と同時に、女性らしく優しいイメージ。
確かにそれは私の一部ではあるし…以下略。

そうして考えると、休日に着物を着ることがストレス解消になる訳がわかる。
ほかでもない、自分自身のために着物を着ているのだ。
洋服では表現しきれない私を、和服を着ることによって表現しすることで、何だか安心するのだ。

誰かに見られて何かの役割らしく見せるため、ではないのが、私にとっての普段着物。
その発展形として学会着物や行事/イベントに着物を着ることができるようになりたい。

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コメント

米男ながら「洋服着てコスプレ」の如く感じるのが、日本とほぼ同じ、東海岸の風土には、管類は合わないし、現代の模様は大自然を穢す、。。。いや、ちょいと書き過ぎでしまった。別な頁で「松風集」の話しを拝見、明治以前の、万が一広いいみでの狂歌集あるいは笑いの種も多く含まれて居る個人和歌集を読みたいが、なにかあるでしょう?只今、上方近世狂歌集を読んでいるが、多様になる、その「興歌」や鄙ぶりなどは、決して江戸狂歌に負けていないと思う。本来狂歌は和歌のB-面で、けっしてパロデイと風刺だけではない、31字の歌の半分あるいはその大半もなす。沖縄の機知を示す古い歌ご存知ならば教えていただければ感謝します。 敬愚

投稿: robin d gill | 2012年2月 8日 (水) 05時55分

robin d gillさん、コメントありがとうございました。
饒舌な(失礼!)コメントにギルさんのお人柄が感じられまして、楽しい気分になりました。
サイトも拝見し、アマゾンで「誤訳天国」を注文し、吉岡生夫さんのサイトにもたどりつきました。

現代短歌は和歌と狂歌、両方の要素を受け継いでいると私も思っていますけれど…その話はまた、にさせてくださいね。

まだまだ勉強中の身でして、残念ながらご紹介できるような沖縄の古い歌についての知識もありません。
「笑い」「機知」は私も大好きなので、探しておきますね。見つかったらご紹介いたします。

投稿: slummy | 2012年2月11日 (土) 01時08分

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