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2007年5月12日 (土)

「高水位」

高水位            奥村晃作(短歌研究2007年5月号

「四万十になんにもない」と船頭はまず言い屋形船を動かす        (1)

冬枯れの四万十川の岸辺には超早咲きの菜の花の群れ          (2)

四万十にボンベ付け漁不可なりと魚介を過度に獲られたくなく        (3)

四万十の岸辺の砂利の採取をば禁じていると、岸の砂利山        (4)

高水位示す芥が四万十の岸辺の木々の絵に絡み付く           (5)

「山と山とのあいだ流るる四万十の川幅、山と山とのあいだ」         (6)

護岸工事しないとぞ聞く四万十の温暖化進み危うくないか            (7)

公私の忙しさにまぎれつつ「ただごと歌の系譜」から導かれた「橘曙覧全歌集」をポケットに入れて読みふけり、しばらく奥村晃作短歌ワールドを訪れるのも忘れていました。

で、久しぶりにのぞいてみたら、とてもおもしろい連作を発見したので、勝手ながら転載させて感想まで書かせていただいてしまいました。

四万十川、私は見たことがありません。(そもそも四国に行ったことがありません。)私が知っているのは美しい川らしい、ダムがないらしい、俵万智がなんか関係してたような、ということぐらいです。その程度の予備知識ですし、私の偏見と解釈が思いっきり入ってますので、歌の味わい方も間違ってるかもしれませんが、どうかご容赦を。

さて。この連作から感じられたものは「自然と人為の対比」です。(私の大好きなテーマです、もちろん。)何が自然で何が人為か、というのを表面的に解釈すると、以下のような感じになります。

  手付かずの自然代表:四万十    自然の脇役:菜の花、魚介、砂利、山など

  (日本文明による)人為代表:船頭と屋形船、ボンベ付け漁、護岸工事、などなど。

でも、そういうシンプルなわかりやすさに隠された、もっと深いものが一首一首の歌の中にはあるように思います。

(1)で「四万十になんにもない」という船頭。手付かずの自然を自慢しているのか謙遜しているのか。(どちらかというと前者じゃないかと思う。)その船頭と屋形船の存在そのものが「なんにもない」という言葉と矛盾している(「船頭と客が乗った屋形船」があるじゃないか!)ことを自覚していない船頭の言葉に、人と自然とのよじれた関係(手付かずの自然は観光化された時点で手付かずではありえない)を連想してしまうのは私だけ・・・?

(2)は一見、自然だけを詠んだ歌。でも「冬枯れ」なのに「超早咲き」の「菜の花の群れ」があるあたりが、人為のなせるわざか、異常気象のゆえんか。この一首のポイントは「超」ですね。「ちょー早咲きじゃん、この菜の花、っていう感じー。」

(3)は、漁獲高制限のために「ボンベ付け漁」を「不可」としてるところが人為です。その理由はもちろん自然保護のため、なのでしょうが、わざわざこういう保護をしなければならない、保護をしているところに、もう既に手付かずではなくなってしまっている自然のねじれたあり方がみえます。ダムはなくとも四万十は管理された自然、というわけです。

(4)も、砂利採取を禁じるという「人為的な決まりごと」の結果として存在している「岸の砂利山」を捉えています。人為なくして自然があり得ない、という状態への違和感。

(5)は・・・「芥」って、ゴミやチリのことですよね。ゴミやチリが岸辺の木々にからみつくことで、清流四万十の最高水位を示しているなんて・・・自然の美しい光景(絵)が人為の極みたるゴミで台無しにされている、ゴミも含めての景観である、と言っているかのように思えます。

(6)は、自然を単位として測定する自然。測定、という要素は人為的ですが、この歌のメインは雄大な自然。自然の広がりを感じました。でも全体が「」(カギカッコ)でくくられているのはどうしてなのでしょう。カギカッコの中におさまる雄大な自然。本物の自然ではなく、縮小された自然、ジオラマを見ているような感覚になります。

(7)では、なぜ護岸工事しないと温暖化が進むことが懸念されるのか、私にはよくわかりません。でも、この歌には護岸工事という人為がないと「危うくないか」という自然の姿が描きだされています。自然の脆弱性、人為によって自然を管理したいという願望がストレートに歌われています。

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2007年5月10日 (木)

芭蕉布縞柄半幅帯(2)

新しい芭蕉布の半幅帯を買ってしまいました。
いつもお世話になっている風苧(ふう)工房の作品。
Kurume
琉球藍と相思樹で染めてある経糸による縞模様が、以前購入した帯と全然違う印象を作っています。
見るなり欲しくなってしまって。
しかも、今回は前の帯よりも太めの糸で織ってあるということです。

糸が太いとより硬くて粗い生地になり、触感はザラつくかもしれませんが、帯はもともと直接肌に触れるわけではないんだし、まったく問題なし。
むしろ、日常的に締める帯としては、より丈夫で長持ちする帯になってるかも。
それに太い糸で織り目が粗い分、もしかしたら風通しもよく涼しくなってるかも(←勝手な願望)。

何よりも糸が太いと、価格が下がります。(芭蕉布は糸の太さで値段が違うので。)
という訳で、価格を訊いて、ほとんど迷うことなく購入を決めてしまいました。

GW後半は連日のように着物です。しかもこの帯ばかり。
上の写真は3日に親戚とホテルのレストランでの会食に行った時の組み合わせ。
着物は久留米絣(着物市場あんのんで購入)、帯〆は夏用伊賀組紐、帯留は忠右衛門で購入したものです。
沖縄はもう初夏ということで、見えるところは着物も小物もすべて夏仕様にしました。

でも長襦袢だけは夏用ではなく、ポリエステル&木綿のものをまだ着てます。
半衿も盛夏には麻とか綿麻にするんですが、そこまで本格的に暑いわけじゃないので。

この翌日は、子供たちと一緒におでかけ。同じ帯で、着物と小物を変えました。
Tate1 着物は館林唐桟
この一年、さんざん着てさんざん洗ったのでさすがに色と風合いが少し変わってきましたが、まだまだ日常着として着倒しています。
細い帯〆は去年、和歌山でふらっと入った呉服屋さんで買ったもの。
帯留はJALの機内販売だったかな?もともとは帯留ではなかったはず。

3日から6日までの連休は毎日、和服でこの帯でした。
こどもの日には、朝から浴衣を着て(暑かったので)近くの鯉のぼり祭りを見に行くつもりが、雨のため行き先が急遽、プールに変更となり、子供たちとプールの更衣室で浴衣から水着に着替え、プールからあがってまた浴衣に着替えました。
浴衣だから着替えそのものは大した手間でもないんですが、ちょっと恥ずかしかったです。
6日は夏久留米を出してきて、この帯と合わせてみました(写真はありません)。
紺系統の夏着物にはこの帯はよく合います。
去年買った芭蕉布の帯はちょっと格上げして、今年はこの帯を日常的に締めることになりそう。

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