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2006年8月28日 (月)

砂時計小

    我慢してサウナに汗を流すべくひっくり返す砂時計<小>
                                 奥村晃作

8月22日の読売新聞の夕刊に載った歌だそうです。

タイトル、すなわちこの歌の最後の句を、思わず「すなどけいグワー」と読んでしまって、
いや、まさかそんなはずはない、と「すなどけい しょう」と読み直しました。
・・・沖縄の人にしかわからない読み方をしてしまって失礼いたしました。
私は沖縄方言に詳しくはないんですけど、漢字で表記された沖縄方言では
「猫小」は「マヤーグワー」「鳥小」は「トゥイグワー」と読むんだと理解してます。
だから「砂時計小」は「すなどけいグワー」となるわけです。

「しょう」ではない、沖縄方言の「グワー」の語感をもうちょっと説明します。
「グワー」というのは沖縄方言の接尾語で「○○ちゃん」と呼ぶような親しみ、
愛称で呼ぶような感情がこもる言葉です。猫(マヤー)をマヤーグワーと言ったり、
鳥(トゥイ)をトゥイグワーと言ったりするというのは上に書いたとおりですが、
お年寄り家庭の縁側で「お茶グワー飲んで行きなさい」と若い人が言われたり、
いう風にごく気軽に使われる接尾語です。「まぁ、ちょっと座ってお茶でも飲んで」
というニュアンスですが、田舎のお年寄りならではの厚情たっぷりの命令口調に
「グワー」という接尾語は、よく似合います。

話がそれました。
そういう訳でこの歌を最初に読んだ時の印象はいうなれば「砂時計ちゃん」(笑)
小さな砂時計への親愛の情を(作者の意図とは別に)感じてしまったわけですね。
奥村晃作には

    ロッカーを朝昼さすり磨いたらニコニコ笑うよロッカーちゃんも

という歌もあることですし。
「ロッカーちゃん」があるんだったら「砂時計ちゃん」もあり、かな、と。

それから、縦書きの醍醐味なので横書きでは伝えられないんですが、この<小>という、
かぎ括弧ではない、<>で上下を囲まれた文字が、見ているうちに砂時計の形に
見えてしまいました。(深読みしすぎ?)
・・・やっと砂が落ちきった、さぁ、またひっくり返そう。
そんな状態の、小さな砂時計・・・に見えません?どうぞもう一度、ご覧下さい
こうして上下を<>で囲まれないと、そんなことは思いつきもしなかったでしょうが。

サウナで汗を流しつつ小さな砂時計を見つめ、砂が落ちきった所でひっくり返す。
男、忍耐、汗、サウナの熱気、という実に暑苦しい(失礼!)イメージと、
そのすべてを律する、小さな砂時計。
規則正しくなめらかに落ちる細かい砂の静けさ、爽やかさ。

もう一回、転載しておきますね。

    我慢してサウナに汗を流すべくひっくり返す砂時計<小>

この歌には、たくさんのコントラスト(対比)が含まれています。
(・・・私に読み取れたものだけ、書いて行きます。)
まず上に述べた、暑苦しさ(サウナ)と爽やかさ(砂時計)のコントラスト。
それから、サウナの熱気の中でじっと我慢して汗を流す、という力強く静的な行動と、
砂時計をひっくり返すという、ささやかながらも動的な行動のコントラスト。
サウナで我慢するのは全身ですが、砂時計を動かすのは手先、というコントラスト。
前者の行動は「流すべく」という文語で重々しく表現されているのに対して、
後者は「ひっくり返す」と口語で軽く、表わされています。

この「ひっくり返す」の語感と位置がまた、絶妙です。
「我慢」と強い言葉で始まった歌が「流すべく」と強い意思表示をされて
(苦しいが汗を流したい、流さねばならぬのだ!という感じでしょうか)
ますます力が入った所で、唐突に「ひっくり返す」という口語が来る。
ここで歌の流れ、歌の焦点が重みから軽みへ、大から小へ、ひっくり返されてしまう。
あたかも、砂時計を逆さにしたように。

面白いなぁ、と思います。
「ひっくり返す」で、読み手としては完全に意表をつかれてしまっているんですよね。
「流すべく」に続く言葉としては、まったく予想できない。
そこでくるっ、とひっくり返ったような印象を受けるのでしょう。

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