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2006年4月28日 (金)

病院前のバス停にて

 「洗濯物、干してくれた?」 とくり返し携帯電話に尋ねる妊婦

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2006年4月23日 (日)

芭蕉の糸に魅せられて

芭蕉布の工房を見学に行った。

知人の自宅を訪問した、という言い方もできる。
工房の主にはかなり前に会ったこともあり、お互いの職業も配偶者も知っている。
独立し自宅を工房にしている、という話は聞いていたが、訪問したのは初めて。

場所は、大宜味村喜如嘉。風苧(ふう)工房。
古い赤瓦の民家を借りて住んでいるという。
家に入ると、座卓の上に大きな円いカゴ(ザル?)が無造作にのっていた。

その中に、糸が入っていた。
天井から吊るされた白熱灯の光に照らされて、生成りの芭蕉の糸が輝いていた。
絡まらないよう、輪に広げられ、ゆるく重ねられた、芭蕉の糸。
あまりの美しさに息を呑んだ。

許可を得て触らせてもらった。
最初の印象は、その軽さ。
まっすぐに延びる硬さと、曲げれば曲がるしなやかさとなめらかさがある。
糸であって、糸ではないような。
携帯でIto も撮らせてもらったが、色も照りも全然再現できてない。

芭蕉の繊維を割いて結んで一本の糸にする、苧績み(うーうみ)という作業の
途中だったらしい。割く前、太いまま巻かれた糸玉が水に入れてあった。
糸をたどりながら、よく見ていくと小さな小さな結び目がある。
結んでカミソリでギリギリの所で切るそうだ。
「機結び(はたむすび)」というその結び方も、教えてもらった。

工房の主は芭蕉の育成から織りなど全工程を自分でやっているそうだが、
芭蕉布会館にいた頃は他の人に苧績みしてもらった糸を使って織っていたという。
苧績みできる人が少なくなっている、やりませんか?と言われた。

・・・ものすごく心が動いた。
こんな糸、触れるだけでも幸せだ。
指先を水に濡らし、割き、結ぶ作業にはものすごく心惹かれるものがある。

しかし。
こういう大事な工程を、いい加減なことでは引き受けられない。
私には本業もあることだし。どこにそんな時間が作り出せるのか?

ということで、一目ぼれしたもの(芭蕉の糸)に対して、ひとまず冷却期間を
置くことにした。冷めないようだったら、時間を捻出してでもやってみよう。

織り上がった芭蕉布も見せてもらった。
糸ばかりではなく、布も、とても良いものだった。

玉ねぎ染めの茶色で、縞のテーブルセンターがあった。
こんな感じの帯があったらいいなぁ、と言ったら、作れますよ、という返事。
同じ縞模様、もっと太い糸で、単の半幅帯を注文した。
これまでの私の着物生活で最も高い注文品になる(価格はヒミツ)。
でも、ネットでの価格などとは比べものにならない。
それに、作者を知っているという安心感。

出来上がってくるのが楽しみ。
私が持っている中では格段に高価な帯になるけど、普段着に締めよう、と決心
している。よれよれになってすり切れるまで着用できたらいいなぁ。

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2006年4月13日 (木)

小学校の入学式に着物で

一番上の子が小学校に入学した。
その入学式に着物で行った。(画像はありません、ご容赦。)
沖縄の4月。気温は20度から25度くらい。雨の日も多い。

内地(本土、要するに沖縄県外の日本)だと4月は袷の着物。
特に入学式は「式」ということで、ある程度の格式が必要とされるらしい。
しかし、ここは沖縄。
内地と同じ季節の衣替えにこだわる気はさらさらない。
(自分で決めた沖縄でのころもがえ・・・4月から10月まで単衣。
 だって中学校や高校はこの期間、半袖だから。)
それに先月、卒園「式」に夫婦で着物を着ていったが、思いっきり目立っていたぞ。
特に亭主。お父さん連中のほとんどはノーネクタイ、Tシャツの人もいたくらいだから、着物を着ているだけで(亭主は紋なしウールアンサンブルだったのだが)ものすごく目立っていた。

亭主の着物はウールしかないので、気温の高い今回は洋服。
でも私は和服にこだわった。
結局、着物だけ単衣にして、卒園式の時に来た黒絵羽織をその上に、ということにした。
単衣の羽織は持っていないので、羽織だけは袷。

着物はサマーシルクウールの紺地に白い絣(小紋)。透ける夏着物である。
それに古い、いただきものの紅型名古屋帯をあわせた。

この帯は、私にとっては大切な大切な帯。
首里に下宿していた学生時代、いつも夕食を食べに行っていた近所の
飲み屋(兼、喫茶店)のママさんが私に託してくれた帯だ。
当時、着付け教室に通っている、と話をしたら、帯を下さった。
大変軽い、染めの帯である。
芭蕉布に紅型染めと勝手に思っている。(確かめてはいない)

羽織は、正絹ということだが、ネットオークションで500円だった。
すごくタバコ臭かったので、裏から消臭スプレーをかけ、数日干してようやく着れるようになったものだが、こういう時には重宝する。
羽織紐は、麦茶染めにした、これもネットオークションのもの。

着物は単衣にしたのだが、襦袢を夏用にしなかったのと、羽織を着ていたのとで、入学式の体育館ではかなり暑かった。
特に襦袢は失敗だったなぁ。
透けるから、着付け教室当時のポリエステル(麻の葉模様の純白)に
したのだが、日頃着ている「うそつき」と違って暑く、重く、肩が凝った。

入学式でも、他に着物の人はいなかった。
まぁ、そういうものなんだろう。

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2006年4月 7日 (金)

ブログのタイトル変更

ブログのタイトルを変えました。
雑記帖のつもりで始めたのに、もっぱら着物のことばかり書いてるので。

「きものみち」は壇ふみさんの着物本からの借用。
借用元である世界文化社「壇流きものみち」は素敵な本です・・・おすすめ。
着物をきた壇さんの写真はこれぞ気品ある和風美人!という感じでうっとりさせられます。
しかも、単なる「和装の女優さんの写真集」に終わっていないところがすごい。
壇ふみさんの気どらないエッセイで美人女優のイメージをあえて壊しています(笑)
写真だけ、文だけ、ではない、本の面白さが堪能できます。

素敵な着物を、ナイチャー(沖縄県外)のものだけにしておきたくない、と思います。
沖縄には紅型や花織や芭蕉布や久米島絣や宮古上布などなど、全国に誇れるような
染織工芸品があるのに、それらはすっかり高価で手が届かない工芸品になってしまい、
沖縄での日常着としては廃れてしまっているのが、残念です。

和装そのものが沖縄に根付いたものではないとは思います。本来は琉装でしょう。
でも、現在生き残っている琉装は記念写真や琉舞だけ、日常の衣装には、ほど遠い。
沖縄琉装苑の石川さんによると、沖縄には「琉装を捨て」た歴史があったとのこと。
時代的にはおそらく「琉球」が「日本」になった時期、日清戦争以降じゃないかと思います。
そうして戦前には琉装が和装になり、戦後には洋服になっていった。

私の舅(夫の父、70代)は子供の頃、芭蕉布を普段着として着ていたそうです。
おそらく祖母が織ったものか、親戚などから譲り受けたもの。
洗濯はシークワーサーの汁でしていたとのこと。
そのためでしょう、近所ほとんどの家に芭蕉とシークワーサーが植えられていたといいます。
琉装では男だけが帯をして、女は帯をしないとか。
舅の祖母は帯をしない琉装だったので、子供心に不思議に思って尋ねたそうです。
「どうして帯がないのに、前がはだけないの?」と。
祖母はふざけて「女は腰の脇に穴があって、そこに入れてるんだよー」と答えたとか。

石川さんの話では、琉装は原則、二部式。胴衣と巻きスカートもしくは、胴衣ともんぺ。
スカート(orもんぺ)の腰紐にたくしこんでいたのでしょう、ということです。

そんな衣装の伝統も途切れてしまった所に、現在の私たちがいます。
まずは沖縄風の和装を少しずつ。
そしてできれば日常着としての琉装も、と考えています。

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2006年4月 2日 (日)

リゾート柄半幅帯

3月の着物事情を記録しておく。
週末、休みの日は朝から着物。家事はタスキがけしたり、かっぽうぎ着たりして。
週末着物は木綿やポリエステルだが、ウール着物もまだ出番あり。
それと職場の送別会、子供の卒園式では正絹着物に名古屋帯を締めた。
正絹の着物を着て外出したのはこれが初めてである。
送別会は紅型、卒園式は色無地。どちらも古着で、1万円未満のもの。
(それでも正絹は正絹、着ている間は緊張したなぁ。)
卒園式では亭主にも着物を着てもらい、夫婦で和服姿だった。
沖縄では保育園の卒園式ごときに着物を着る人はいないので、謝恩会で他の父兄に
「呉服屋さんにお勤めなんですか?」と尋ねられた。(・・・ちがうぞ。)
ただの趣味です、と答えたが、不思議に思われたようだ。

さて。
沖縄の今頃の季節を「うりずん」という。いや、もう4月に入ったので「若夏」か。
日差しは時に暑く、でも気温はまだ20度前後、太陽がさわやかな良い季節である。

沖縄のこの季節に合うような帯を作りたい、と布を買いに行った。
・・・目移りする、する。
結局、またコスモテキスタイル社製の木綿を買ってしまった。

110cm幅、1mの布を6分割し、1m長さで18.3cm幅の布を6本作った。
その3本半をつないで裏に接着芯を貼り、裏布と一緒にぐるりと縫った。
約3時間で、リゾート柄半幅帯ができあがった。

Hanhaba4

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