2009年5月14日 (木)

病理医は病理解剖をなんと思っているか

あくまでも私、個人の話です。病理医みながどう思ってるかは知りません…。

ある時、いきつけの美容院で、美容師さんに「解剖をしてるんですってね!」と尊敬半分、恐れ半分といった調子で話しかけられて、びっくりしたことがありました。

・・・ええ、確かに。
私は病理医ですから、病理解剖を執刀することも、私の職務の一つです。
口では美容師さんにそう答えつつ、内心は「ああ、私のイメージってものがあるから、内緒にしてたのに、誰がこんなところでバラしたんだ~~!」と思ってました(笑)

その美容師さんに話したのは同僚の一人で、噂話の中で、私の話になったんだそうです。
悪気はないんですけどね。
でもなんだか、私の秘密を勝手にバラされてしまったようで、恥ずかしかったです。
解剖を執刀する立場にあることが知れる、というのは、イメージダウンだと自分でも思ってたのでしょう。

世間では一般的に、解剖(病理解剖を含む)って、昔の「腑分け」のようなイメージというか、「バラバラ殺人の順序を逆にしただけ(死んだ人をバラバラにする?)」というような、むごたらしいイメージがあるのだと思っています。
でも・・・解剖を執刀する私の立場では、全然、違うんですけどね。

という訳で、一人の病理医である私が、病理解剖についてどういうイメージを持っているのかを、できるだけわかりやすく書いてみます。

岡井隆という歌人に「神の仕事場」というタイトルの歌集があります。
【神の仕事場】・・・です。みなさんは、このタイトルから連想する場所がありますか?

このタイトルから私が連想するのは、病理解剖室です。
病理解剖室は、私にとって【神の仕事場】。
・・・いや、もちろん、私自身の仕事場でもあるんですけどね。
神様と一緒に働く場、というか。
そこに神様がいるから、仕事ができる場所、というか。
【神の仕事場】というタイトルで、病理解剖室を連想するくらい、私にとって病理解剖は神聖なもののようです。

もう一つ、私の好きな表現は「病理解剖は医学葬である」というものです。
「医学葬」という言葉で、何を表現しているのでしょう。

病理解剖は、医学的な真実を追究する場です。
個人の死を、医学の技術でもって弔うのが医学葬たる病理解剖です。
医学的な真実を追究し、医療の進歩に貢献しつつ、葬儀としての厳かな雰囲気の中で行われる・・・そんなイメージです。

病理解剖は、ご遺体を師として、ご遺体に学ばせていただく、貴重な貴重な機会だとも思っています。
生前どういう方であったかには関係なく、病理解剖室の解剖台の上に横たわっただけで、そのご遺体は私たち医学、医療に携わるものの「師」となります。
一人の方の死に学ばせていただき、その死を、他の人たちの病態理解、病気治療のために活用させていただくのが、病理解剖なのですから。

ご遺体の「声なき声」を聞き取り、ご遺体の病気の状態や死因を把握するのは、たくさんの楽器が奏でるメロディを重ねあわせて、壮大な交響曲を作り上げるのに似ているかな、とも思っています。

比喩だらけで、かえってわかりにくかったかもしれませんが、まぁ、大体、こんな感じです。
決して、むごたらしいものとは思っていません。

病理解剖を詠んだ自作の短歌でもって、この記事を終わります。

  解剖は医学葬なり 人の死を医学の技(わざ)で弔う儀式
 
  一言も語らぬ遺体の組織から交響楽を聴きとる作業

  ご遺体の黙した言葉を聞きたくて標本に向かう 何度も向かう

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2008年8月23日 (土)

死者には死因究明を、遺族にはグリーフケアを

8月20日、福島県立大野病院事件の判決が下りました。
無罪です。
まっとうな判決が下されたことに、安堵し、感謝しました。
その一方で、遺族の方々のコメントも、大変に悲痛なものとして読ませていただきました。
本当にお気の毒です。

報道された内容だけでこんなことを申し上げるのは失礼にあたるかもしれませんが・・・遺族の方々に本当に必要なのは、裁判ではなくグリーフケア(大きな悲しみに遭遇した方々への心理的援助、とでも訳せばよいのでしょうか?良い訳語が思いつきません)ではないかと思われます。

この事件では、死後の解剖こそされませんでしたが、法廷という場を借りて、現在の医学の知恵を尽くして徹底的に死因究明がなされたように私には思えます。
でも、ご遺族には、そうは思えないようです。
お気の毒です。

        ■      ■      ■      ■

私は病理医ですので、病理解剖も私の仕事に含まれます。
「なぜ、この方を解剖しなくてはならないのだろう、なぜ解剖が必要なのだろう」などと考えるまでもなく、仕事として病理解剖がやってくるので私は丁重に実施するだけなのですが、そんな私が拠り所としている考え方は「病理解剖は医学葬である」というものです。
現在の医学的手法を用いて亡くなった方を弔うのが、病理解剖である、と私は考えています。

「医師として、ご遺体に学ばせていただく」と言いかえてもよいかもしれません。
黙して語ることのないご遺体が発する声無き声を聞き取り、通訳し、他の医師たちにご遺体が教えてくださったことを伝えるのが病理解剖医の仕事・・・なんて書くと、かなり、いかがわしい印象を持たれるでしょうか。
そうではないんですけどね。
一人の方の死を教訓とし、学ばせていただき、今後の医学、医療に役立てさせていただく。それが病理解剖だと私は考えています。

解剖することによって、ご遺体がはっきり「死因」を教えてくださることがあります。
(解剖しても、死因が明らかにできないことは珍しくありません、念のため。)
亡くなられた方には、死因を明らかに(できるものなら)してもらう権利がある、のではないのでしょうか。
死因究明は公益であると同時に、死者の権利でもあると私は思います。

解剖で判明した結果は、遺族にも、もちろんお伝えすることになります。
しかし、遺族に必要なのはグリーフケアであって、その一環、その中で解剖結果、死因を伝えるべきではないかと私は思っています。

        ■      ■      ■      ■

今回、福島県立大野病院事件公判では、残念ながら、遺族に対して暴力的な方法で死因をつきつけたようなことになってしまいました。
死者には死因究明が必要ですが、遺族に必要なのはグリーフケアです。

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2008年5月 8日 (木)

カッテージチーズと乾酪壊死

最近、冷蔵庫の牛乳が余ると、カッテージチーズを作ります。
私の作り方は至ってシンプル。

①牛乳1リットルを鍋に入れて沸騰しない程度にあたためる。
②火を消し、鍋の外側に触れるられる程度に冷めてから、80~100cc程度のレモン汁(市販の瓶入りレモン100%果汁)を入れ、適当に混ぜる。
③しばらくすると固まってくるので、布巾でこす。
④布巾の中に入れたまま冷水の中で適当にもみ洗いする。
⑤お好みの固さまで絞り、塩少々を加えてできあがり。
かなりアバウトな作り方なので、もっとこだわって作りたい方はこういうサイトなどもご覧下さい。

で、できたものがコレです。Cheese

画像ではわからないのが残念なんですが、
レモンのほのかな香りがします。
味はかなり、あっさりです。

で、これを見るたびに、私の頭は病理医の頭に戻り、結核の病巣、
「乾酪壊死(かんらくえし)」を連想してしまうんです。

私は結核恐怖症(結核が怖くて怖くてたまらない、くらいの意味です)の病理医です。
いつか自分が結核になるんじゃないか、と過剰に(苦笑)恐れています。
結核が病理医の職業病だった時代は、残念ながら、まだ遠い過去ではありません。

下の画像は、典型的な乾酪壊死のリンパ節です。
Photo 定規の一目盛りは5mmですので、1.5cm程度の大きさのリンパ節。
でも、どこがリンパ節で、どこが乾酪壊死なのか、わかりにくいかもしれませんね。

 

これでどうでしょう。

2 リンパ節以外の部分を隠してみました。
矢印の先、白くなっている所が乾酪壊死です。
カッテージチーズに似ているような気がしますか?
やっぱり画像ではわかりにくいかもしれませんが。

黒っぽい部分は、炭粉沈着(たんぷんちんちゃく)。
タバコの煙の粒子などをここで処理しているんだと思ってください。

このリンパ節を顕微鏡でみると、こんな感じになります。
1詳しくは拡大してみてください。

乾酪壊死、というのは顕微鏡でみた状態ではなく、目でみた状態を表現した言葉だと思います。

この顕微鏡画像は、一般的なHE染色(ヘマトキシリン・エオジン染色)のものです。
結核菌を探すためにはZiehl-Neelsen(チール・ニールセン)染色という特殊な染色が必要です。
その画像もお見せします。顕微鏡の最高倍率が必要です。

1_2 結核菌は、赤く染色されます。
背景もピンク色なのは、デジタル画像処理の問題です…。
菌を見やすくしようと、赤を強調したらこうなってしまいました。
Ziehl-Neelsen染色では薄いブルーの海の中に、鮮紅色の菌がキラッと光って見えるような感じです。

細長く、しっかり存在を主張する、というよりは、はかなげな、たよりない印象の菌です。
でもこの見た目にだまされてはいけない。結核菌は案外、しぶとい菌です。
この菌が、空気の流れにのって人体の中に入り、体内でゆっくり増殖して結核の原因となります。

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2008年4月17日 (木)

細胞の「顔」をみる

病理医である私が顕微鏡でのぞいているのは「一つ目の国」です。
そこには、目(核)が一つの顔(細胞)ばかり。Cyto1

Cyto2






両目がある(核が2個ある)細胞をみつけると
「おっ?バケモノ(ガン細胞)出現?」
と思います。
注)すべての多核細胞がガン細胞、という訳ではありません。

Cyto3 Cyto4








目がもっとたくさんある細胞が出てくることもあります。
「うっぎゃー、怪物(すっごく悪性のガン細胞)が出てきた!!」
と思ったりします。

Cyto5










悪そうな顔をしている、本当に悪い細胞もあれば
一見、そんな悪そうな顔ではないのに、
細胞の性質としてはタチが悪い細胞もあり、
悪人面(あくにんづら)なのに、ガン細胞ではない、良性細胞もあります。

昨日、子供たちと見てきた映画(仮面ライダー電王&キバ)で、悪人面というだけで道をゆく人たちに次々と手錠をかけてタイホしちゃう楽しいシーンがあったので(娘の一人は笑いながら「リュウちゃん、やりすぎ~」と言ってました)こんなエントリを書いてしまいました。

病理医は、細胞の顔だけ見て、悪人かどうか(ガン細胞かどうか)を診断します。
正確には一つの細胞の顔だけを見ているのではなく、周囲の細胞の状態(仲間が周囲にいる?隣の人は迷惑そうな顔してる?殺された人はいない?などなど)も読み取った上で、診断するんですけどね。

今回、画像として出したのは、お腹の中を覆っている腹膜表面の中皮細胞。すべてHE染色、撮影はNikon Coolscopeで、もともとの倍率は400倍です。
すべて、細胞の名称は「反応性中皮細胞」。悪性中皮腫との鑑別が問題になります。
悪人面の細胞もあるけど、この人(細胞)たちは悪性ではありません。

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2008年4月 1日 (火)

Aiについての個人的な要望

Aiというのが、海堂先生のご活躍もあり、死因究明についての話で最近、話題にのぼることが増えてきました。
Ai、すなわちautopsy imaging。オートプシー・イメージングです。
ちゃんと学会もありますので、Aiって何?と思われた方はどうぞ学会ホームページを。

亡くなられた方の死因を究明するためなどにCT等の画像診断を駆使しようという、21世紀にふさわしい、新しい試みです。
まだ研究途上の面もありますが、解剖率が低い日本で、解剖せずとも画像診断のみで死因を知ることができることもあるのではないか、と期待されています。

さて、Aiについて説明するのが拙文の目的ではありません。
個人的にオートプシー・イメージングの日本語訳で、気になっていることがあるのです。

オートプシー・イメージングは「死亡時画像検死」と訳されたり、「死亡時画像病理診断」と訳されたりしています。
病理医である私としては「病理」が入るのかどうか、が大変、気になります。

きっちり訳語を分けて欲しい、というのが私の個人的な要望です。

①ご遺体に画像診断のみ → 「死亡時画像検死」

②ご遺体を画像診断した後に解剖して病理学的診断 → 「死亡時画像病理診断」

という具合に、オートプシー・イメージングの訳語としての「死亡時画像病理診断」という日本語名称は、画像診断の後に病理解剖が実施された時(画像診断と病理診断の併用)のみに限定して欲しいのです。

前者(①、すなわちご遺体の画像診断のみ)をautopsy imagingというのは、解剖の代用としての画像診断を意味しているのだと思います。(誤解だったらすみません。)
もし「死亡時画像検死」と「死」が2個も入るのが変、というのなら「死亡時画像診断」と呼べばいいと思うのですが。

ところがこのあたりの用語の混乱があります。たとえば以下の記事。
タイトルは「死因究明にAi(画像病理診断)」です。
--------------------------------------------
死因究明にAi(画像病理診断)

3月31日15時0分配信 医療介護情報CBニュース

 日本医師会(日医、唐澤祥人会長)はこのほど、CT(コンピュータ断層撮影)などを利用した死因究明(Ai)に関する中間報告書を公表した。日医は昨年12月から解剖の補助的な診断方法として画像診断を活用する方法について検討しており、「今後『Aiを解剖の補助的診断方法として検討する』といった表現 を第3次試案に盛り込むことが肝要である」と主張している。

 「Ai」と呼ばれる死因究明の方法が注目されている。「Ai」とは、Autopsy(解剖)とImaging(画像)を合わせた新しい言葉で、「死亡時画像病理診断」と呼ばれている。
【以下略】
--------------------------------------------
解剖の補助的診断方法、ということは、解剖が別、ということで①?

だとしたら

>「Ai」とは、Autopsy(解剖)とImaging(画像)を合わせた新しい言葉で、「死亡時画像病理診断」と呼ばれている

という解説は誤りです。

「病理診断」は、標榜科されたとはいえ、まだ一般への知名度は低いです。
病理診断がされもしないものについて「病理診断」という名称をつけるのは、誤解のもとですし、ご遺体への病理診断(=病理解剖)についての間違ったイメージを世間に提供することになります。

だから、画像診断のみのAiを「死亡時画像病理診断」と呼ばないで。

辺境で働く一人の病理医からの、お願いです。

 4月2日追記。
  偶然ですが、海堂先生のブログが直後に更新されました。
  みなさまにも、お読みいただければ幸いです。

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2007年12月 3日 (月)

強度のある言葉を用いるために

病院としての大仕事が一段落した所で、久しぶりの更新です。

レジデント初期研修用資料:言葉の強度について」を読みました。

冒頭の例は、病理学者であって、病理医じゃない所がポイントですね!(笑)
病理学者は病理学的知見を得るのが仕事、病理医は診断するのが仕事だと思ってますので。もちろん私自身は後者です。

>責任を取る覚悟、自分の言葉が「力を持ってしまうこと」に対する恐怖をもちつつ、それを克服するすることが、まず何よりも言葉に強度を付加するために欠かせないのだと思う。

ものすごくうなずけます。
診断する時には、腹をくくり、背中に冷や汗をかきながら、言葉に強度をつけていきます。

手にあるのは木刀ではなく真剣、相手も切れるが自分も切られる、と師匠は言っていました。丹念に磨きあげ、切れ味の良い剣を振るう快感はまた格別なものですが、だからといって切れ過ぎる剣に振り回されてしまっては、この仕事、できません。

なかなか理解を得られていないような気がするこの病理診断という専門分野。
適確な比喩として用いられ、とても嬉しかったです。medtools先生に感謝。

ゼロリスクがありえない、という真実のために「大丈夫」と言えない現代医療。
病理医としてはせめて、真実に少しでも近いと思われる病理学的知見を拾えるよう日々研鑽しつつ、主観としての「強度を持った言葉」を臨床医や患者さんに対して語れる医師でありたい、と思いました。

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2007年7月31日 (火)

臨床から病理への転科

卒後4年目、内科2年目で病理への転科を考えているというkikoさんへ。
コメント欄を利用してのご質問、ありがとうございました。
お返事を一つのエントリにさせていただきますね。

ちょうど、臨床研修制度が始まった時期に医師となられて、いろいろ情報も錯綜し、
迷いの種になるようなことも多いのだと思います。
で、このブログの趣旨にも叶ったことですので、病理医という仕事に関して、
思いつくことをつらつらと、書いてみますね。

今、病理医として活躍している人には、臨床を数年経験してから、という人が決して
少なくありません。
たとえばこの方、田中先生元小児科医です。それもNICUのバリバリ小児科医。
詳細はリンク先、田中先生のHPをお読み下さいね。
なぜ小児科医から病理医になったのか、ということについても詳しく書かれています。

私自身は、ローテート研修医としての臨床経験しかありませんが、
それでも病理診断をする上では臨床医としての経験が役に立つ、と思います。
臨床医は、病理医にとって「顧客」のような面があり、顧客の立場がわかる、と
いうのは仕事をすすめる上で役に立つことがたくさんあるのです。

ただ、病理は形態診断、パターン認識なので、デザインや美術の仕事とも似ている
面があって。歳をとって頭が固くなってから病理診断の修行を始めるのは困難です。

誤解しないで欲しいのは「臨床医失格だから病理医になった」というのではないこと。
病理医としての適性と、臨床医としての適性はまったく別の話。
両方に適性がある人もいれば、片方だけに適性がある人もいるし。
極端な話、もともと適性がなくても、医師として社会に貢献することは可能です。
職業訓練というのは、そういうものじゃないでしょうか。
(本人はあんまり幸せじゃないかもしれませんが、社会貢献と本人の幸福も別。)

参考までに、私個人は周囲には臨床向きだと言われ、実際、誘ってくれた科もあった
のですが、誰が何と言おうと自分では絶対、臨床向きでないという確信(苦笑)が
臨床研修を通じて成立し、今に至っています。

それから、病理医となるための専門研修を、病院でするか、大学でするかについて。
私自身は病院で病理医となった人間なのでぜひ病院を勧めたいところですが、
一長一短あるのは事実です。まずは、それぞれの長所を書いてみます。
ただし、以下はあくまでも一般論ということで。

【大学で病理研修をする長所】
・複数の病理医が常にいるので、いろんな見方を教えてもらえる
・症例が豊富。病理は(臨床と違い)大学でも「ごく普通の」標本を見る機会が多い
・研究もできるので「基礎と臨床の橋渡し」としての役割が果たしやすい

【病院で病理研修をする長所】
・多くは決まった指導医につくことになるので、初心者としては混乱が少ない
・大学と比べて各科の敷居が低いので、臨床医からも多く学べる
・病理医として必要な、病理検査室マネジメントについても教えてもらえる

大学の短所は、人不足による忙しさ、診断研究教育のバランスが難しい、という
ところでしょうか。病院の短所は、症例が偏りやすい、研究がしにくい、など。

しかし、これらはあくまでも一般論です。研究がバリバリできる病院もあれば、
めっちゃ忙しい病院だって全然、珍しくない。施設毎の差が大きいです。
病理解剖一つをとってみても、24時間365日、病理解剖を即時に行う体制を敷いて
いる病理部門もあれば(これは臨床側にはともかく、病理側としては大変、負担の
大きいことです)、当院のように夜間は原則として解剖をしない(夜間に亡くなら
れた方のご遺体は保冷庫に入れ、翌朝に解剖する、というのを原則としています、
どうしても急ぐ場合は例外的に夜間に解剖しますが)という病院もあります。

そして、大事なのはいわゆる「オーベン」、つまり指導医だと思います。
特に最初の半年から一年の期間で病理医としての標本の見方、診断方法の基礎固め
が行われますので、その時期に誰が自分を教えてくれるのかというのは大事です。
万人向けの良い指導医、ではなく、あなた個人にとって良い指導医。
人間関係は「相性」がありますから、ある人にとって良い指導医が、あなたに
とって良い指導医とは限らない。他人の評判はそれなりに聞いたとしても。
人間的に尊敬できるような人に巡り会えるといいのですが、そういうのって結果論
(ある程度、一緒に働いてみないとわからない)ですからね・・・。
そして、こればかりはPCの前に座っていても絶対にわからないことです。
実際に病理部門に見学に行き、指導体制を見て、指導医と話をしてみなくては。

それと、もう一つ、アドバイス。
あなたの体力と精神力で耐えられるような苦労なのか、そうでない質・量の苦労
なのか、は飛び込む前に漠然とでも見極めておくこと。
苦労をすることを恐れすぎず、かといって過分な苦労を引き受けないよう。
どんな科でもそうですが、楽ばかりして専門医になる道、というのはありません。
医師の多くは苦労自慢をしないだけ。
苦労の数だけ喜びもあり、その時の苦労がいつか実ることを信じているから、
かもしれません。

病理に興味があり、やる気があるのなら、しっかり研修して病理医になることが
できると思いますよ。頑張って下さい。

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2007年7月 1日 (日)

やんばる二人病理医

最近、違う話ばかり書いているので、久しぶりに病理の話題を。

先月から、やんばる(沖縄県北部地域)の常勤病理医が二人になっています。

そう。一人増えたんです。
といっても私の勤務先に増えたわけじゃないですよ。
お隣の病院に、常勤病理医が赴任されたんです。
それも、ずっとこちらの病院に非常勤医として勤務して下さっていた、私にとっては
とても親しく、尊敬できる素敵な先生なんです(女性です)。
診断病理医としての経験年数は私よりも長く、診断の「目」も確か。
これまで、何度も私の誤診を未然に防止して下さった実績もある方です。

ながーーい間、地域唯一の病理医だった私としては、もう、この先生が来て下さったことを考えるだけでニマニマしてしまうくらい、嬉しくてたまりません。
これまで、一番近い所にいる病理医の所まで高速使って1時間以上でしたから。

ずっと「やんばる一人病理医」だったのが、「やんばる二人病理医」になったのです。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

標本を一人だけで見て診断するのと、もう一人に見てもらって診断するというのは、診断する側としては、もう、全然、違うんです。
病理診断は顕微鏡の所見をみて診断するもので、どうしても主観が入ります。
その日、その時の体調や精神状態にも左右されます。
体調や精神状態が悪いと、見えるはずのものも見えなかったり。

極端な話をすれば「胃炎」と診断した標本を翌日もう一度見直すと、胃癌だった、ということがあり得るんです。
あんまりしょっちゅう、そういうことがあるようでは専門医としての勉強をもう一度、やり直した方がいいんでしょうけれど…
絶対そういうことがない、という病理医は、この世の中に一人もいないと思います。
人間は、みな、不完全な存在。
完全な病理医、絶対に誤診をしない病理医、というのはいません。

それでも、少しでも誤診を減らし、患者さんに迷惑をかけない診断を100%に近い状態でするために、良心的な病理医はみな、さまざまな工夫をしています。
誰か他の病理医に見てもらう、というのはその最もオーソドックスな手段です。
専門医修行中の医師でも、研修医と一緒に見ても、一人で見るのとは違うんですが、誰か別の病理専門医、信頼できる「目」を持った相手に見てもらう、というのが一番。

複数の病理専門医が全標本を一緒にみる、というのが理想的な方法です。
でも、さまざまな事情で、現実には私のような一人病理医が全国にたくさんいます。
理想と現実は一致しませんね、なかなか。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

さて。
せっかく、そういう先生がお隣にく赴任して来られたのです。
ぜひ、病院同士で協力しあって病理診断ができる体制を整えましょう、という話になり、それぞれの院長先生にも説明して了解をいただいて、お互いに業務時間内に行き来してお互いの病院の標本を見に行けるようにしていただきました。
業務として、こういう交流を認めてもらえたのは、個人的には画期的なことでした。

地域の病理標本は、地域で診断するのが一番です。
同じ地域にいる専門医同士が連携し、協力しあって、地域の人たちにより良い医療を提供できるようにしていける体制が整いました。

先方の病院は民間病院。こちらは公立病院です。
公立病院と民間病院の両方があって、緊密な連携体制をとって協力できることは協力し、それぞれの長所を伸ばしつつ短所を補いあいつつ、医療を提供していくことが、地域の住民にとっては一番いいんじゃないか、と私は考えています。

この二つの病院組織の吸収?合併?という話も出ているようですが、二つの組織を一つにするのは、メリットだけではなくデメリットもあり、無理もあります。
個人的にはこのまま二つの病院組織でありつつ、地域に良い医療を提供するという共通目的を忘れず、仲良くやっていきたいです。

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2007年5月21日 (月)

「病理診断科」と名乗ることについて

私は、病院に勤めている病理医です。
病院勤務の病理医、所属は病理科なんですがこの「病理科」というのはあくまでも「通称」。

私の勤務先はたくさん科がある総合病院なので「内科」「外科」「整形外科」「小児科」など診療科が公示されています。
でも、これは厚生労働省が決めた科の名称しか名乗れず、「病理」は病院が名乗ることのできる科としては認められていません。

くどいようですが、私は「病理専門医」です。専門は病理。
内科や外科などの臨床科をバックアップする立場ですが、専門的な医療を行う医師の一人として、医療の質向上に貢献しています。
病理専門医として、私が名乗りたい、名乗ることができる「科」は病理以外はありません。

それなりの規模の病院(たとえば200床以上、全身麻酔の手術が年間100件以上)で病理医が院内にいるかどうか、というのは、「診断」の質という点で、大事なことだと思うのです。
でも「病理(診断)科」を、総合病院の診療科の中に含めることはできないのです。
厚生労働省が認めていない、という理由で。

一方、たった一人しか医師がいない開業医であっても、内科、皮膚科、外科、整形外科、アレルギー科など(厚生労働省が標榜科として認めている科の名称なら)いくつでも名乗ることができます。実際、たくさんの科を名乗っている開業医は少なくありません。
これは、絶対、制度が実態とかけはなれていて、おかしいなぁー、と思うんです。

標榜科(診療科)についての再検討が始まったようです。
新聞記事をリンクしておきます。

「病理診断科」はぜひ、ぜひ、ぜひ!認めて欲しいです。
私は、直接患者さんに接しない立場ではありますが、一人の医師として、毎日毎日、真剣に病理診断を下しています。
病理医の仕事は、患者さんの病名を決める(診断する)ことです。
なのに今の制度では表向き、病院にいてもいなくても同じかのように扱われています。

表向き、というのが一つのポイントかもしれません。
いや、本音を言えば私も陰でこっそり良いことをする、というのが好きなんですけど(笑)
病理医のみんながそういう人ばっかりだったのでこれまで診療科として認められなかったのかもしれません。
とにかく、今に至るまで病理医の仕事は社会に十分に認知されていません。
病理は深刻な人不足に陥っていますが、産婦人科や小児科、麻酔科と違って話題になることもありません。
(私見ですが、病理医は日本では一度も充足したこともなく、医療の質の向上を求められる時代になって需要ばかりがウナギノボリになっているのだと思います・・・)

社会的認知のためにも、病理診断科をぜひ、診療科として公示できるようになって欲しいものです。

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2007年4月13日 (金)

病理医に向いてるのはどんな人?

病理医に向いてるのはどんな人?って考えてみました。

 1.特定の臓器だけではなく、人体の全身に興味がある人。

   病理医は全身(の臓器や細胞)をみます。
   全身の細胞、臓器に共通する病気も診断するし、各臓器に特徴的な
   病気も診断するし。一生勉強だけど、マンネリや退屈とは無縁です。

 2.アートとしての医療とサイエンスとしての医学の両立をしたい人。

   病理学は病気の理論、病気の原理を追求する医学でしょう。
   病理診断は、その医療への応用。
   医療はどの科もart & scienceであるが、病理は特にそういう面が強いような。

 3.正直に、率直に話をするのが好きな人。

   要するに、真実をオブラートに包むのではなく、事実、真実をありのままに述べる
   ことを好む人、ということです。   
   臨床医は「がん」であることをただ、患者に伝える訳にはいきません。
   相手の許容可能性を見はかりつつ、細心の注意を払い、心の準備をさせ
   つつ、気を遣いながら「がん」を告げ、その後の精神的なフォローも
   当然のごとくに求められます。
   求められているのは医学的な真実を表現することだけではないのです。

   それに対して、病理医は医学的な真実を言える。
   病理医が「がん」であることを告げる相手は、患者ではなく臨床医です。
   医師同士ですから、バリバリの本音トーク炸裂!もOKです。
   患者に直接、病理医が話すことも最近の世の中では求められつつ
   あるようですが…個人的には、やりたくない仕事…。荷が重すぎて。
   ウブでシャイで人間嫌いの私には、百人百様の患者さんに対して
   相手の立場に立って説明することなど、私にはとてもできないような。

   とにかく、もって回った言い方が苦手、率直な話が好き、という人は、
   病理に向いてます。
   (・・・というのは自己弁護かな、ある種の。私自身がそういう正確だから。)

 4.自分が「医師『だけ』である」ことに満足できない人。

   つまり、医療者としてだけではなく、それ以外の自分の能力も大事にしたい人。
   医師として充実した仕事をしつつ、私生活の時間もちゃんと確保したい人。

   医師になったからには、一切、脇目もふらず、自分の人生を医療に投げ
   打ちたい、という人もいます(病理医にもいます)が・・・どちらかというと、
   病理医はオンとオフがはっきりした人生を送っている人の方が多いのでは、
   と思います。病理ならQOML(Quolity Of My Life)が高い人生が可能です。
   病理医で現役のテノール歌手だったり、フルートの名手だったり、
   ミステリー作家だったり、バドミントンの社会人選手権(地方大会)で優勝
   したり、という実例はこと欠きません。山登りが趣味で、山登りと医師生活
   を両立するために病理を選んだ、という人もいるくらいで(どういう両立?)。
   仕事も私生活も充実!という人生が送りたい人は、病理医に向いている、
   と言えるでしょう。

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2007年4月10日 (火)

研修医が来た!

4月に入ってから、卒後2年目の研修医が病理検査室に来ています。
午前中は臨床検査部門の生理検査室でエコー(超音波検査)の研修をし、
午後から私の隣にやってくるんです。
臨床研修病院になって4年、研修医が選択科目としてローテートできるような
プログラムにしてはあったんだけど、これまで病理を選択した研修医はいませ
んでした。彼女(女性研修医です)が当院では初めてのケースです。

もう、この研修医がかわいくてかわいくて~♪
一生懸命だし、マトモな質問もしてくれるので、質問に答えるのも私の勉強に
なります。部屋の中に、医師が私一人じゃないってこんなに楽しいんだ、と
あらためて実感してます。

期間は、1ヶ月間。
といっても半日だし、研修医として当直業務もあり、当直の翌日は病理研修を
免除します。(研修医当直は寝れない当直。でも内科や外科など他科の当直明け
翌日は普通にみんな勤務しています。指導医ももちろん。だけど、病理研修の間
は、寝れない当直の翌日に顕微鏡をみるなんて絶対無理、というか時間の無駄。)
この日程で無理のない研修スケジュールを設定しました。1台、技師が使っていた
顕微鏡を研修医専用に与えています。

生検、術中迅速、切り出し、標本作製、解剖診断とCPC、が当院での研修医用の
研修メニュー(?)です。

生検(手術標本も)は、毎日たくさんの標本が出ますので、それが中心になります。
お昼からその日の標本を全部一緒にディスカッション顕微鏡でみます。
その中から1例、基本的なことが勉強できそうな標本を渡して、一人で診断、所見を
書かせます。私が文章を添削した後、病理診断報告書の下書き(病理システムへの
入力)をさせます。診断書を印刷し連名でサインして終了。
飲み込みの早い研修医なので、もう少し慣れてきたら渡す症例を増やしてもいいか
な、と思ってます。

術中迅速、切り出しは側にずっといて見学してもらい、研修医にできそうな所は
やってもらいます。手術材料の切り出しの時に1、2個余分にブロックを作製し、
薄切から染色までを研修医の手でやらせ、病理標本がどのようにしてできるかを
体験してもらいます。
それから、一例の解剖診断をつけ、最後の週にCPC(臨床病理カンファランス)
の病理側プレゼンテーションをしてもらう予定です。

5時15分には「今日のduty終わり!」と言って「帰っていいよ~」と促します。
自分は帰らなくても、研修医には定時帰宅を促すのが指導医たるものの基本(笑)
もちろん、自分から率先して定時に帰る日もありますし。
基本的に病理医は9時5時勤務が可能、というのは事実ですから。
仕事量の多い施設もありますけど少なくともウチの病院の病理医と病理研修医は
普通に仕事してる限り、定時に帰れます。

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2007年3月22日 (木)

病院で病理医になる

*コメント下さっている皆様、コメントありがとうございます。
 ぜんぜん、返答できてなくてすみません。一つ一つにお答えしている時間がないのです。
 が、私としてはコメントいただいただけで何だか親しくなったような気分でいます。 
 唐突に声をかけるかもしれませんが、気が向いたら相手してやって下さい。
 どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて。
今回は宣伝というか・・・こういうのを載せるのは本当は恥ずかしいんですが。
私の病理の恩師が雑誌(日本語の専門誌)に病理医の研修について書いてまして、
その中で私も少しですが、書かせていただきましたのでご紹介しようかと。

専門誌とはいえ、学生向けの連載としての文章なので、そんなに難しいことは書いて
いません(・・・難しいことは書けない、という見方も)。
pdfファイルで全9ページ、6ページ目の終わりに私が出てきます。
興味をもたれた方はどうぞお読みください。

文光堂のサイトへと飛びます

今、日本で病理医として働いている人の大多数は、大学で病理医としてのトレーニングを受けた人たちなんですが、私は大学に所属したことがなく、病院で一人働いておられた師匠にマンツーマンで指導を受けるような形で、病理医としてのトレーニングをしました。
資格は全部病院にいる間にとり、学位論文(博士号)の研究も、師匠の指導の下、病院で通常業務の合間にやりました。

日本の病理医の経歴としては一般的ではない、と自覚しています。

一子相伝の秘伝というようなものはありませんが、恩師は本当に恩師、私の病理医と
しての多くは師に学んだものです。師匠の下を離れるのは辛かったですが、円満に
退職して沖縄にやってきました。今も心から尊敬している師匠です。

私が病理を志したあと、それが呼び水となったのか、次々と若い医師が病理医に
なりたい、と師匠のもとにやってくるようになりました。年間一人程度のペースだった
ので、私の下に入り、一緒に病理の仕事をおぼえていきました。
優秀な人もいましたし、困った人もいましたが、優秀な人の長所を伸ばすのはもちろん、困った人であっても持っている才能を伸ばし社会に迷惑をかけず仕事ができるように教育する、師匠の手腕には本当に感心したものです。
どうして・・・ああいうことができるんだろう、と。

いつまでも弟子気分が抜けない私ですが、気がつくと師匠が私を育て始めた年齢になってしまっていました。まぁ、私は師匠よりもいろいろペースが遅いので、まだ焦るつもりはないんですが、こうして育てていただいた以上は、自分も若手を育てて、まともな診断ができる病理医を一人でも世の中に送り出すのが、師匠への恩返しにもなるんだろうと思います。

病理医が必要とされているのは病院。でもこれまでは大学で育った病理医が病院に
赴任するだけ、病院への人材供給は常に大学からでした。
でも、3年前からの新臨床研修制度で、医師の初期教育の場が大学から病院に
移行しています。だから、病院で病理医がもっと育ってもいいと思うんですけどね。

そういう私も目先のことで忙しがってばかりいないで、若い人をもっと勧誘しなくっちゃ。

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2006年12月30日 (土)

外科病理学第4版

仕事に使う病理診断の本は、病院(職場)の図書費で購入してもらい、個人では極力、買わないことにしている。

しかし、この本は例外。文光堂の「外科病理学」。
日本語で書かれた診断病理学の最高峰にして集大成。
新版が出ると個人で購入し、個人蔵書の証に印鑑を押し、こんなインデックスをつける。
顕微鏡の横に置き(本棚に収まる暇がない)毎日、何度も開く。
ちょっと時間が空いた時にも読む。
頭に知識が収まりきれない私(単に記憶力が悪いともいう)の病理医としての頭脳であり、病名を調べなおす辞書であり、日々の愛読書であり、心の支えでもある。
(職場での睡眠導入剤でもあり・・・ちょっと開いてぐっすり眠り、目覚めはすっきり。)
第4版では2分冊になって執筆陣も一新され、内容はますます充実している。

日本の病理診断医にとっては座右の書であり、病理医でこの本を知らないという人はモグリのニセ病理医か、引退した昔の病理医だけではないか。

病理医をめざし始めた当時は、第2版だった。
蛍光ペンで線を引いたり、余白に書き込んだり、文献からの表や図を貼り付けたりして、勉強したすべてをこの本に押し込もうとしていた。
認定病理医試験(今の病理専門医試験)が終わった後のアンケートで
「試験には『文光堂 外科病理学』の持ち込みを許可して欲しい」と書いたのは私。
だってぇ、頭脳なしで試験に受かるわけない~、と本気で思っていたのだ。
(・・・まぁ結果的には、持ち込まなくても合格できたんだけど。)

一人病理医として現在の病院に赴任してまもなく、第3版が出た。
たくさん書き込みした第2版を手放しがたく思ったが、いざ第3版を机に置いてみると、
すぐに第2版は不要になった。蛍光ペンでたくさん線を引いた。

そして現在、私の顕微鏡の隣には第4版がある。
この本は私にとって、現役の病理診断医である証でもある。
病理診断を仕事として続ける限り、新しい版が出たら購入するだろう。

病院図書の購入は毎年、年度末。
既に私の机にある本だが、この本も病院予算で購入してもらって、
臨床医の便宜のため、病院の図書室においてもらう予定。

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2006年12月16日 (土)

院内カンファランスを始めました

今週から、院内で新しく病理主体のカンファランスを始めました。
その名も Easy Pathological Conferece、略してEPCなんてつけちゃいました。
日本語表記では「やさしい♪病理カンファランス」と音符マークが入ります。
音符が入るのは私のシュミです。悪いか!(笑)

とある若手臨床医の希望で始めた会です。
始めるにあたって、いくつか原則を(ほとんど私の方で)決めました。

1回1例。何例もやるのはこっちも負担なので、1例のみにしぼってます。
症例の選択基準は「ちょっと面白い病理の症例」ということにしてます。
それから、とにかく短時間(15分~30分)で終わる会にすること。
内容としては、大学を卒業したての研修医が「わからないのにわかったフリをする」
必要がないくらい、初心者向けにすることにしました。

会の流れとしては、以下のような感じで。
1.まず、基本的な正常組織、正常細胞を見せて説明する。
2.それから、この病気では何がどう正常と違うのか(○○だから病気、という、
 「○○だから」のところ)を病的な細胞や組織を見せながら説明する。
これで終わり。さくさくっと進んで、しかも、わかりやすそう、でしょう?

初回は、参加者が10人でした。
言いだしっぺの臨床医と私さえいれば成立する会なので、この人数は予想以上の盛況。
内容的にも、なかなか好評だったようです。
続けられるかなー。続けられるといいですねー。先のことはわからない。
参加者に毎回「顕微鏡についてるカメラが古いから、モニターの画質が悪い」と
いうのを実感してもらって、彼らの後押しを得て病院予算で上等のCCDカメラつき
顕微鏡を買ってもらうのが私のひそかな目標です(笑)

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2006年12月 9日 (土)

看護学校の講義

今年から、とある事情で看護専門学校での病理の講義を引き受けた。
10年ぐらい前に勤めていた病院には附属看護学校があり、そこでも病理の講義を
していたので、割と気軽に引き受けた。

しかし、引き受けてみて、これは大変だ、というのを実感している。
10月から2月まで、1回90分の講義を14回。
半年間、ほぼ毎週のように講義がある。

前は病理医2人でこの講義をしていたのだが、私は1人で全部を講義する。
講義そのものは90分だが、準備は決して90分では済まない。
内容を検討し、まとめ直し、パワーポイントでスライドを作る。
この作業に、少なくとも5、6時間はかかる。
病院での勤務を通常どおりこなしながら準備をするので、家で夜中にやるしかない。

こうして10月から、私は週に1、2回ほとんど徹夜するという生活を送っている。
徹夜、というのは大げさかもしれない。
だいたい週に2回、睡眠時間3時間、という生活をしているということだ。
詳細な生活実感はこちらに書いたとおり。

基礎体力の乏しい私にはかなり辛い。現在、今年2回目の風邪をひいている。
10月の終わりに風邪をひいた後は声が枯れて出なくなった。
喉の調子が治りきらないうちに、また、風邪をひいてしまい、
くしゃみ鼻水頭痛と喉の痛みに悩まされている。

こんなに大変なんだったら、病院の仕事やめて看護学校の講師だけで
生活したい・・・と思ったが、それだけで生活できるような待遇ではない。
パートとしても、準備時間と準備の手間を考えたら、絶対に割に合わない。
生活費を稼ぐため、という観点からは、やめるなら看護学校の方だな。
でもそうすると、困るのは看護学校、そして看護学校に入学した生徒さんたち。

看護師は不足している。看護学校は必要だ。
そして良い看護師になるために、病理の教育は欠かせない。
胃がんと胃潰瘍の違いがわからないような看護師、というのでは困る。
医療についての正確な知識は看護師に必要だ。
そして、病理は病気の理論、医学の基礎の一つである。
誰かがちゃんと教えなくてはならない。

そういう理由で引き受けたのだが・・・大変、というのが正直な実感。
講義が終わる2月を、今から楽しみにしてしまっている。

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2006年11月 7日 (火)

演題締切・・・

気がついたら、来年の学会発表の演題申し込みが締め切られていた。

大ショック。
たいした内容じゃないけど、一応、オリジナルの演題と抄録を用意していたのに。
年に一回の病理学会総会に演題が出せないなんて・・・。
ますますダメ病理医になってしまったみたいで、ショックだ。

なんで締切の日時を忘れてたんだろう。
・・・いや、なんで、というのじゃなくて、まぁ、自分ではわかってる。
演題と抄録が出来上がった時点で、さっさと登録しとけば良かったんだ。
先延ばしするから、こんなことになる。
しかし登録するだけのまとまった時間がとれなかった、というのも事実。
業務用のPCはトラブッて入れ替えだったし。
登録締切当日は病理解剖と術中凍結3件が重複した、年に一度あるか
ないかの業務多忙な一日だった。

ここ2週間、ずっと体調が悪かったのも理由の一つ。
本業(病理診断)以外の仕事(大学、看護学校での病理の講義)が負担で、
この1ヶ月、講義の準備のために何度も徹夜してる。
たいした講義をしてる訳じゃないんだけどなぁ。
子供の相手も気が抜けない。明日はお弁当会。

・・・はぁ。過ぎたことを嘆いても仕方ない。
もっと内容を磨けたら磨いて、来年に備えよう。


9日に追記。
あきらめきれなくて学会事務局に問い合わせたら、追加登録できます、という。
嬉しくて涙が出そうになった。
送られてきた登録フォームを即座に埋めて返信し、登録完了。バンザイ!

真っ暗だった気分が一転、上機嫌になってしまった。
自分にとって病理学会総会への出題ってこんなに大事なことだったんだなぁ、と感心。
病理医としてのアイデンティティ、なのかな。
日常業務とはまた別の所にあるような、学問的発表の場としての病理学会に
発表する、受身ではなく参加してるという事が、こんなに大事だったとは。
田舎病院の勤務医にとって、学会発表はハレの席、お祭り。
どんなに自分が学会発表を楽しみにしていたか、を思い知った。

改めて、きちんとやろう、と思った。

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2006年9月27日 (水)

Overdiagnosisを防ぐために

個人的な戒めとして、overdiagnosisを防ぐ三ヶ条を。

一、直感を過信しない
二、基本情報(年齢、性別、採取部位)を再確認
三、はりきって「悪性」とつけない

これだけではあんまりなので、以下、適当に解説します。

まず、overdiagnosisという言葉・・・何と訳したらいいんだろう。
文字通りなら「過剰診断」ということになるだろうか。
平たく言うならば、ガンでないものをガンと診断してしまうこと。

病理診断に習熟すること、は直感を養う、という一面がある。
顕微鏡を覗いた瞬間に「あ、これは・・・」と認識する、病理パターン認識的、直感。
この直感をあなどってはならない。
「これが癌なのは、細胞密度が高くて壊死もあって極性も乱れてて・・・」
という説明の大半は(実際問題としては)後付けであることが多い。
しかし、直感を過信するとロクなことはない。
たとえ後付けであっても、悪性疾患を悪性疾患と説明できるだけの材料が必要。
「なんとなく悪いと思った」では済まないのが、病理診断。

基本情報の再確認、は基本中の基本。
しかし、これを誤ると本当に大変なことになる。
同じ所見であっても、出所(採取部位)が違うと、診断が変わるのだ。

そして「はりきらない」。これもとても大事。
病理医の一般的傾向として、臨床医が疑っていなかった部位に癌を
発見すると、手柄でも立てたかのように喜びがちである。
しかし「予期されていなかった癌の発見」は、患者にとって最悪の知らせである。
癌が見つかるのは嬉しいことではない。悲しむべきこと、ではないのか。

はりきって癌の診断を積極的につけていくような病理医に、私はなりたくない。
病理診断で癌が見つかったことに対する、複雑な感情を持ち続ける病理医でいたい。

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2006年9月 9日 (土)

術中迅速

今日もまた、大きな手術の術中迅速診断があった。

1週間前に電話で予約があり、切除断端の評価をしてほしい、と執刀医。

切除断端、というのは今回手術になる患者さんの身体で、切除できる最大限
ギリギリの部分である。それ以上広範囲はとれない、という所の端っこ。

今回の手術では断端を先に病理に出す、ということだ。
1.断端陰性(ガン細胞がそこにない)なら、それから根治手術。
2.断端陽性(ガン細胞がある)なら、ガンをとりきれないということで、手術終了。

1.になった場合。
根治手術は、まぁ大体6時間から8時間くらいかかる、大きな手術。
患者さんの負担も大きい。
が、手術が成功すれば、この患者さんはこのガンで死ぬことはない。
他の病気さえしなければ、寿命をまっとうするだろう。
2.の場合は・・・このガンのために死ぬことになるだろう。
何年生きられるだろうか。
長くて数年、早ければ1年もたないかも、というのが通常の予測だろう。

・・・と、ここまでが、今回の術中迅速診断の前提。

朝から手術が始まった。
昼頃に出る、と言っていた切除断端が、実際に出たのは午後3時。
技師さんに捺印細胞診標本と、迅速凍結組織標本を作ってもらう。

細胞診標本が先にでき、顕微鏡での診断開始。
かなり怪しい・・・ガンがあるのでは?
しかし細胞診だけで確定できるほどではないので、組織標本を待つ。

できあがってきた組織標本を顕微鏡でみて、頭を抱える。
評価できる細胞が少ない・・・どうしよう。
炎症を起こした後らしく、ガン細胞があると予想される部分の細胞が
ほとんど剥がれ落ちてしまっている。これでは判らない。

標本をもう一度、作り足してもらう。
何枚も標本を作ってもらったら、さっきよりは評価できる細胞が増えてきた。
ガン細胞のようにも思えるが、100%ガン細胞だとは言えない。
激しい炎症の後では、ガン細胞に似た細胞が一過性に出てくることがある。
炎症があった証拠はたくさん周囲にあるので、これはガンじゃない可能性がある。

執刀医に正直に連絡することにした。午後3時半、手術室へ電話。
ナースが執刀医にとりつぎ、執刀医と直接、話した。
「炎症が激しくて難しいです。ガンがかなり疑われますが、確定できません。
どうしますか。」
執刀医は即答した。「まだもう少し先まで切れるので、もう一回、出します。」
断端判定をやり直す、ということだ。
「わかりました、お待ちしてます」と電話を切った。

午後4時、次の断端が来た。
今度こそはギリギリのギリ、もうこれ以上とれない、という切除断端だ。
さっきと同じように標本を作ってもらった。

今度の細胞診標本には、ほとんど細胞がついてない。
組織標本は、また、評価できる細胞が少ない。
少ないが、今度見えている細胞は炎症後の再生細胞と思えるものばかり。
・・・よし、ここで結論を出そう。

午後4時20分。手術室に電話したら、執刀医がすぐ出た。
「陰性です。はっきりガンと言える細胞は見当たりません。」
「ありがとうございました!」
これで、術中迅速診断は終了。
今日のこの手術における、私の役目は終わった。

電話を切ろうとした直前に、執刀医の気合が入った声が遠くに聞こえた。
「よーし、切るぞ!!」
私の役目は終わったが、彼らにとってはこれからが手術の本番、である。
手術が終わるのは深夜だろう・・・。

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2006年8月22日 (火)

自己紹介

病理医としての自己紹介をしておきます。

病理医になって13年。
国家資格として持っている資格は、医師免許と死体解剖資格。
それから、学会発行の資格としては、日本病理学会の病理専門医、
日本臨床細胞学会の専門医でもあります。

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