2009年5月27日 (水)

新型インフル対策

基本的には浮世離れしてるこのブログですが、時には時事ネタも、ということで新型インフル関連のサイトを紹介させてください。

良くできてるなーと感心した、イギリスの国民医療保健サービス(NHS)のビデオです。
ooyakeで知りました。

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2007年11月 1日 (木)

進路に迷っている人へ

敷かれたレールの上を走るだけの人生なんて、と思っていた
自分でレールを敷き、自由に思うがまま、自分の走りたい方向に走りたいものだ、と
それとも、いっそレールを敷かずに走った方がより自由なのではないか?とも

けれど、いざ
敷かれたレールが終わりそうになった時
未来に続くレールがないことが不安になった
自分にレールを敷くことができるのだろうか?
敷いたとしても、方向が間違っていないのだろうか?

不安に耐え切れず、周囲の人の助けを求め、助力を得て、レールを敷いた
もうそれは、私が敷いたというよりは
周囲の人に敷いてもらった、という方が正確かもしれない
自分でレールを敷いたというよりは、他人に用意してもらったレールに乗った
そして私はその上を走り出した

一本に見えていたレールは、しばらく走るといくつも分岐していた
そのときどきで最善と思われる方向を私は選んで走った
なりゆきまかせにしていたら、分岐の一つに乗っていたこともある

くりかえされる出会い、別れ、そしてまた新たな出会い
最初にレールを敷いた時に周囲にいた人たちはみな遠く
単調に見えたレールは起伏と曲折に満ちたものであり
果てしないように思える努力を必要とすることもあれば
努力しただけ報われるようなできごとも、またあり

そうして、まだ私はレールの上を走っている
未来に続くレールは自分と周囲とが一緒に敷いている
でもこのレールは、もっと大きな存在、
たとえば神が敷いているものなのかもしれない

レールがない人生を夢想していた過去に戻りたいとは決して思わない
もう一度、人生をやり直すとしてもまた私はレールの上を走るだろう




        (久しぶりの更新がこんな散文詩?で失礼。ちょっと思うとこあって。)

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2007年2月13日 (火)

相貌失認について

私は昔から、人の顔と名前をおぼえられません。
こういうのを相貌失認というようです。
職業上必要な、細胞や組織の顕微鏡画像なら網膜に焼き付けたように記憶できることもあったりするんですけど。

たとえば、娘の担任の先生がめがねをかけている人だったかどうかすら思い出せません。
ぼやっとは思い出せるので、次にあった時には「そういえばこんな顔の人だった」とわかるでしょうが。
子供の頃、父が半年とかの長期出張に出かけたときは「お父さんの顔を思い浮かべられなくなった」とベッドで泣いたりしていました。

それでもまだ、患者さんに接しない病理医だからいいんだと思います。
昨日の福祉まつりでは、訪れる人がお客さんなのか病院職員なのか(私服ですからね)、
それとも資材を提供してくれている業者さんなのかすらわからず、
なんども「すみませんでした、失礼しました」と赤面です。

他にも、体験談を一つ。
大学受験の時に、隣の席になった人と親しくなり夕食を一緒にとる約束をしました。
いったん宿に戻ってから待ち合わせたのですが、
待ち合わせ場所で、相手の顔がどうしても思い出せない。
自分の忘却を棚に上げて(笑)相手が私を見つけてくれるかどうかの心配ばかりしていました。
結局、無事に見つけてもらえました。

このように相手の存在(その人と話した内容や一緒にいた状況など)は記憶していても、顔を忘れます。
同僚の医師たちは数年がかりでおぼえました。
何度も人違いをして「それはボクじゃない」と言われたりしながら。
学会などで、しばらく会わなかった相手に親しげに声をかけられて
「ええと?この先生、誰だったっけな?」と困ることはしばしばあります。

主な対処法は3つです。
1.「失礼ですが、お顔は記憶にあるんですけど(←これは大嘘!)お名前はなんでした?」とストレートに尋ねる。同窓会ではこのセリフばかりでした。
2.「ええと、鈴木さんでしたっけ?」(沖縄なら比嘉さん?)などと適当な名前で呼びかけて、相手の訂正を期待する(もちろん天然ボケとしての扱いを期待して、です)。
「ごめんなさい、きれいにしてらっしゃるから(お痩せになったから、など応用各種)見違えてしまって。」と口八丁でフォローしたりもします。
3.徹底的に名前を呼ばずに用を済ませることも多いです。
もともと顔と名前を一致させたいほどの相手ではない、今、私が話している相手が誰なのかわからなくても私の人生に大きな影響はない、と割り切って、相手が怒り出さない程度の対応にします。

人の顔と名前を記憶できないのは、私の脳の欠陥なんだと以前から思っていますが、あまり深刻には考えていません。
私にとってかなり大切な人でも顔を忘れたりして、相手の機嫌を損ねたりもするんですが、大切な人については、顔を記憶できなくともその人の「存在」をしっかり記憶しています。
顔を忘れられていた人が不愉快になるのは大抵、存在を忘れられている、軽んじられていると思うからのようなので、不本意にがっかりさせてしまった相手には「人の顔がおぼえられないだけで、あなたのことを忘れていたわけではありません、こんな細かいこともちゃんと記憶しています」と相手についての細かい記憶を披露して、大切な人だと思っていることをアピールしたりします。
顔以外のことは記憶されている、と理解してもらえればそれほど困ることはありません。

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2006年11月 6日 (月)

発達障害の自己コーチング

発達障害を扱うやんばる先生(おなじ「やんばる」なのは偶然)のブログ
興味深く読んでいる。

以下、自己コーチングガイドに沿って、やってみた。

A.注意集中の持続、対象、調節がスムーズに出来るか?

できない。これは最も困っていることの一つ。
仕事中に電話がなってそれまでしていた仕事とはまた別の話になると、
元の仕事に思考を戻すのに大変苦労する。
出産以前は時間外、同僚が帰って電話もかかってこない時間になってから
仕事を集中的にしていた。
しかし育児負担もある現在はそれができず、時間の捻出に苦労している。

B.状況理解:場の雰囲気、「空気」をどう理解しているか?等

「空気」はそれなりに読んでいるつもり。
人々の表情、視線など、言語以外で表現される感情を努力して読むように
している。が、状況理解にはかなりの努力を必要とする。疲れる。
なんとなく、では通じにくく、努力を怠ると読めない。

しかし、努力すれば「空気を味方」にでき、その力は一個人の力を大きく
超えたものなので、努力してでも空気を読み、自分の考えの方向性と合う
場合には積極的に発言し、相手の反応をみながら、場を盛り上げる方向にもっていく。

中学校の部活動が吹奏楽部であり、共通点の乏しい個人が力をあわせて
(合奏)美しい音楽を作り上げる喜びを体験したことが、経験的には大きい。

場の雰囲気を保つために「何も発言しない」「意思表示をしない」方が
いいと思われるような場には自分が存在しない方がいい、と思う。
そのような場にいなくてはならないのは苦痛であり、時間の無駄とさえ思う。

C.言葉の理解:文字通りの理解、遠まわしな言い方や冗談が分かるか、
うそをつくか?等

文字通りの理解、で思い出すのは次のような失敗談。
眼科受診時に、視力検査を受けることになった。
「眼鏡をもっていますか?」と尋ねられ、ケースに入った眼鏡を出した。
「かけてください」と言われて、すぐ後ろにあった椅子に腰かけた。
戸惑った顔を相手がしているのに気づいて、こちらも間違いに気づき、赤面した。
自分としてはごく自然な行動だったのだが。
相手は眼鏡の話をしていたのに、椅子にかけるとは思わなかっただろう。
天然ボケ、と思ってもらえただろうか。

言語的コミュニケーションは好きで、行間を読むのも好きだが、他の人とは
違った視点で読んでいるらしい。
婉曲表現を理解できないことがある。自己流に解釈して失敗した経験も多い。

冗談は好きだが、後になってようやく理解できることも多い。
自分で言う冗談は基本的に「直球勝負」。直裁的表現で笑いをとりにいく。
たとえば喉を痛めて声が枯れている時。
ガラガラ声で「日頃はもっと美しい声なんですけど」と言うと、かなりの人が
笑ってくれる。

うそをついた場合(意識的、無意識的にも)はその後の矛盾がとても気になる。
持続的に整合性のある嘘をつくのは困難なので、嘘をつかないほうが楽。

D.物への執着:捨てられるか? 捨てられない理由は?

捨てられない。まだ用途が完了していないような気がする。
しかし見えていないものはないものと同様なので、一定期間しまいこんだままの
ものは努力して処分するようにしている。

E.時間認知:後悔するか? 首尾一貫性を重んじるか? 予定の変更に対応できるか? 等

基本的に後悔はしない。過ぎたことを変えることはできない。
悪い選択肢を自ら選び、失敗して悲しいできごとが生じた場合は、生じた時点で
過去となってしまっていることをまず認識する。
その次には、感情(誤った選択をしたことに対する無能感、結果が失敗したことの
悲しみ、など)の処理(泣く、悲しみに思いっきりひたる、など)をはかりつつ、
より建設的な将来への道筋のために現時点からできることを考える。
周囲への影響を先に考えることはなく、自分自身の内面的問題解決が常に優先され
るが、実際には周囲にも同様の感情(迷惑感を含む)を抱かせていることが多い
ということも知的には理解しているので、自分の問題と同時に周囲の感情にも
対処する。

首尾一貫性については、自分としては首尾一貫しているつもりでも、他者から
みたらそう思われないことがある、ということを理解している。
他人も自分も変化しうる存在であり、厳密な首尾一貫性は求められない。

予定の変更はつきものなので、できるだけ余裕をもたせた予定にしておく。

F.刺激を求める(ADHDの場合)、こだわり(ASの場合、偏食、服装、髪型や歯磨きなどの身体に関わるものなど)

PCゲームなどに「はまる」ことがある。数時間でも継続してやってしまう。
好きになった曲を数百回続けて繰り返し聞いてもまったく苦にならない。
しかしそれほど好きな曲でも、時間が経過すると忘れる。
こだわり?はそれなりにあるが、継続的なこだわりは少ないのでは。
髪型は数年ごとに変えている。

G.人への愛着・執着があるか? どのような執着か?

特定人物への執着は少ない。淋しがりやの面と、人間嫌いの面が共存している。
目の前にいる子供がたまらなく可愛く思えるときと、鬱陶しくてたまらないとき
とがあり、その振幅が激しい。恒常的に同じ接し方ができない。
こういう精神状態が、自分でも思い通りにならないことがある。欠点の一つ。

H.強迫観念、視線恐怖、対人不安、聴覚過敏等

現時点で特に思い当たるものはない。

・・・以上。
自己診断では私はADHDだと考えている。

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2006年9月18日 (月)

ブログ公開

パスワードをはずし、ブログを公開しました。

ブログそのものはとりあえず、という感じで作ったのですが、
公開については、記事がいくつか蓄積されてから公開しよう、と思っていたのです。
パスワードをかけて、自分しかアクセスできないようにしていました。

さっき、6つ目の記事を書いた所です。
とりあえず、公開します。

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2006年8月31日 (木)

子連れ和装での研究会出席

末っ子を連れて、高崎で開かれたテレパソロジー研究会に行ってきた。

主催者の先生が「託児室を用意します」と言ったのをいいことに、託児室利用者の
募集もないうちから申込んでいた。
託児室では、大学の保育学科の学生さん二人が託児を担当してくれた。
もう、一人前の保育士じゃないかと思うくらい、とても良い学生さんたちだった。

利用者は私の子一人だったのが、もったいない。
私だけのために手間をかけさせて、研究会の事務局には申し訳ないような気もする。

会の雰囲気も変えちゃったかなぁ、と思う。
もともと女性の参加者が少ない会でもある。
子連れで、しかも和装での出席者なんて私一人だ。
自分の発表もあるので、はりきって絣の夏着物に芭蕉布の帯を締めていった。

以前から、男性がスーツにネクタイ、という学会などの席で、女性としては
どういう服装が適切なのか、と困っていた。
カチッとしたスーツは、適切は適切かもしれないが、没個性的でつまらない。
しかも女性用のスーツは流行の変化が早く、3年もたつとおしゃれに見えなくなる。
頻繁におしゃれなスーツを買うのはお金もかかるし、近所に店がない。
学会出張で他県に行った時に必死で店を探して服を買っていたこともあった。

流行を無視して同じ服を着続ける・・・というのは恥ずかしく、暗い気持ちになる。
そんなんじゃあ、学会場で胸を張って歩けない。

・・・ということで、いっそのこと和装、現代風の琉装。
正式な感じはでるし、流行もないに等しいので長く同じ服が着れる。
ただ欠点は、そういう格好をしている人が誰もいない、ということ。

変人が多い病理医とはいえ、誰とも違う格好をするのはそれなりに勇気がいる。
他の出席者に何と思われてるだろう・・・と考えるのはコワイ。
まぁ、でも、それは、敢えて気にしないことにして、ほめてくれる人の声だけを聞く。

琉装は7月の九州・沖縄スラコン(会場は琉球大学)で使った。
和装で発表したのは今回が初めて。
でもこれでふっきれた。今後はどこの学会・研究会でも和装で行くぞ。

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2006年8月21日 (月)

病理医ブログの開始

2年間、匿名で育児ブログをやっていました。
匿名、というのは名前を隠すだけではなく、医師という立場も隠して(よく読めばわかるのですが)書いていました。
働く母の立場で書く育児ブログ、というスタンスです。

自分が医師であること、と母であること、の折り合いがうまくつけられずにいました。
もちろんこの二つは私の毎日の上では並行していますが、要するに

  一人の医者である以前に一人の母でありたかった

のだと思います。
裏を返すと、そんなにも、自分が母であることに自信がもてなかった。
私は自分が医師であることは自明だと確信していましたが(この確信には虚勢も含まれています)、
母親であることは、自明ではなかった。
子供たちの母親としては、失格かもしれない、とどこかで思っていたのです。
(今もちょっとはそう思いますが・・・。)
母親としての自分を確認するために、ブログに子供たちのことを書いていた、という面は否めません。

一番上の子が7歳になり、一番下の子は3歳になりました。
母親としての自分に違和感がなくなってきて、病理医であり、母親である、という立場でブログを書いて公表したい、と思うようになりました。

という訳で、とりあえず作ってみました。
どういうブログになるか、は、やってみないとわからない、ということで。

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