« 2019年7月 | トップページ | 2020年4月 »

2019年8月 4日 (日)

岩政教授の思い出

岩政輝男先生のご逝去の報を受けて、個人的な追悼文(思い出話)をこちらにアップいたします。
(約3000字。長文です。)


先生は琉球大学医学部医学科の初代病理学教授のお一人であり、その後医学部長、琉球大学学長にもなられました。
が、病理医である私にとって岩政先生は病理学者、病理学の教育者、尊敬する先生でした。

先生の講義を初めて受けたのは大学3年生の時です。
病理学総論の講義でした。

講義で、先生がお持ちの膨大で圧倒的な知識を私たち学生に与えようとしておられるのを感じました。
細胞の分子病理学的な背景を、詳細に情熱をもって語られるのですが、板書は少なく配布資料はほとんどなく、35㎜スライドも毎回あったかどうかは覚えていません。
教えられるのは成書と言われるテキストに書いてないことばかり、体系と系統が私には見えず、ノートをとっても全くついていけない。

参考図書としてご紹介くださった日本語の教科書(森道夫「新細胞病理学-小器官病理学から分子病理学へ-」当時は新刊書でした)を購入し読んだのですが、先生の講義の1割も理解できず、困った私は生化学の教科書(ストライヤー第3版のペーパーバック)を講義に持ち込みました。
授業中に講義を聞きながらノートをとりつつ、ストライヤーのページをめくり先生が教えておられる内容に関連してる部分にマークをつけ、帰宅後マークした周辺を読み理解につとめるようになりました。
が、それでも半分も理解できていなかったのではないか、と思います。

不思議と「難しすぎる、どうにもならない」とは思いませんでした。
知的好奇心を刺激され、この先生が教えようとしていることを理解したい、と当時の私は思い、必死で講義についていこうとしていました。
講義でとりあげておられたのは、教養から専門(医学)の講義が始まったばかりの3年生の誰もが知っていそうな疾病ではなく、稀少疾患ばかりでした。

たとえばLysosomal storage disease(ライソゾーム病)の講義。
岩政先生から「糖原病」の疾患概念について、教わりました。
「糖尿病」なら有名ですが「糖原病」は先生の講義で初めて知りました。
強く記憶に残っているのは糖原病2型、Pompe病の講義内容です。
匿名の患者さんの顔写真をスライドで提示されました。
約30年前の講義です。

患者さんは女児。
目が大きくて可愛い!沖縄の女の子かな!?と思いました。
次に出されたスライドは、死後剖検時の心臓が横断的にスライスされた臓器写真。
そして心筋の組織像でした。

・・・えっ、あの女の子、本人の心臓?
解剖されたということは・・・亡くなった、ってこと?

学生の私は感情を刺激され、驚き、戸惑い、先生の話の展開についていけなくなりかけました。
しかし、そのような感情など置いてきぼりにするかのように、先生は淡々と心肥大の肉眼所見、組織所見を説明なさいました。
先生の平静なご様子に私も冷静さを取り戻し、鉛筆を手にノートに向かいました。
糖原病Ⅱ型、心筋組織肥大と記しながら、可愛らしい女児の顔写真とその死、死因となったライソゾーム病を結びつけて脳内に刻みこみました。

岩政先生は講義でそんな風に個体、臓器、細胞、分子生物学のつながりを私に教えました。
生と死、マクロからミクロ、そして病態解明、もちろんその先の治療へ。

余談ですが、今世紀に入ってから、Pompe病は糖質代謝酵素の補充治療で進行が抑制されるようになりました。
岩政先生とそんな話をしたことはありませんが、治療法の確立が近い将来、実現することを先生はご存じだったのではないか、と思ったりします。

岩政先生から教わった病理学の話に戻ります。

病理学実習は更に厳しく、毎回の実習後に顕微鏡画像をスケッチしたノートを提出して先生のチェックを受けるのですが、私が提出したノートは毎回、スケッチの右下にCやDといった低評価が赤字で記載された状態で返却されました。
AやBの高評価をもらっている友人のスケッチをみると、とても真似できないような美しい細胞や組織の図が描かれていました。
絵の上手下手が評価に反映されているのだろうか、幼少期から絵が下手な私ではダメなのだろうかと思いつつ、下手なら下手なりに、とスケッチの横に詳細な解説文を書き込んで提出してみました。
するとAマイナス(AとBの中間)評価となり、嬉しかったことを記憶しています。

ただ、スケッチの絵のみで文字がないノートを提出し高評価ばかりの同級生もいて、一体どうやって評価しているのだろう、と当時の私たちには謎でした。

それから10年以上後になって、病理専門医資格を私自身がとり、学生時代の自分のスケッチを見直す機会があって、気づきました。
岩政先生はスケッチを「病理組織形態診断が可能か」どうか、すなわち病理診断医の目でご覧になり、評価していたのだろう、と。

当時の第2病理学講座教授室のドアを開けると、正面に岩政先生のデスクがありました。
お忙しい中、三年次の医学生約100名のノート(スケッチ)をそのデスクに置き、ページをめくりながら赤ペン片手に瞬時に評価を書き込んでおられた岩政先生の姿は、想像に難しくありません。
真剣な病理学者であり、医学の厳しさについて教えてくださった、岩政先生です。

以下も、もう20年以上前の話になります。

卒後県外で病理専門医資格を取得した私は、沖縄に戻ってきて先生の所にご挨拶に行きました。
ご挨拶だけのつもりで教授室のドアをノックしたのですが、専門医資格をとって県内の病院に赴任したことを申し上げると、標本をみるか?と言われ、標本をみるのが楽しくてたまらなかった(注)当時の私は喜んで「みます」と答えました。
(注:当時の私は、自分が病理診断を下す、診断目的の標本は重責と共に大変な緊張感を持ってみていました。が、私自身が診断責任を担わない標本は、純粋に顕微鏡を覗き標本の所見を読み取るのを楽しみながらみていました。)

岩政先生は、難しい軟部腫瘍の標本を何枚も持って来られました。
HE標本だけでは診断できないタイプの腫瘍です、と申し上げても許してもらえず、HEで考えられる限りの鑑別疾患を延々と挙げていくと、満足なさったご様子でした。
「軟部腫瘍を(専門に研究を)やらないか?」とお声をかけてくださったのですが、私は軟部腫瘍に興味がなく、即座に辞退しました。
そんな私を遠ざけるでもなく、その日、教室員の方々と一緒の昼食に誘ってくださいました。
昼食の席で英国でビールを飲むのに使うOne pint glassを売っているお店の話をしてくださり、私は後日、その店を探し当てて2個、買いました。
シンプルで持ちやすいデザインの大きなガラスコップは今も家にあり、勝手に岩政先生ゆかりのコップと思っています。

岩政先生は晩年、病理学者としてのお仕事はしておられなかったと聞いております。
個人的にも最後にお目にかかったのがいつだったか、思い出せないほどです。
が、先生によって病理学の才能を見いだされ、病理専門医および病理学者となったお弟子さんたちが各地にいらっしゃり、現代医療の一角を担っておられます。
後進の活躍を、先生は彼岸から見守ってくださっているでしょう。

ご冥福をお祈りします。

| | コメント (0)

« 2019年7月 | トップページ | 2020年4月 »