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2016年4月12日 (火)

「健常死」という概念

生きる、死ぬ、わからないことがある、というのが人間の真実だ、とある先生に教えられて。

年をとって自然に(?)死ぬ、というのは医学的には「老衰」と捉え、積極的な意味では用いられて来なかった。
しかし、「健康な人間の常態、人生の終末期としての自然死」、というものは稀な現象なのだろうか。
全部分類してしまい、ほとんどすべての死は病死、そうでなければ事故死、というのが今の捉え方である。
歴史的には「老衰死」≒「死因不詳」と捉えられてきたのでそのニュアンスは残る。

新しい用語が必要なのかもしれない。
ということで、病理学者コミュニティの端っこにいる人間の一人として。

「健常死」という死に方、概念を提唱してみたい。

プログラムされた細胞死とされているapoptosisに相当する、ヒト個体の死。
Accidentalではない、internalな、人体固有の生物学的内因死であること。

その個体なりの、健康な常態の終末期を経て、その結果として亡くなった、人の死。
その定義、というのがあり得るかな?というのを考えている。

まずは概念として、ここに出しておくだけ、ね。
このネーミングが適切かどうかもよくわからないし。
他にもこういう考え方に結び付いている人はいっぱいいそうな気がするし。


たとえば100歳で昨日まで家で元気で食事もして話をしてらした方が、
眠るように、亡くなった場合。
その方の身体には、某臓器癌細胞の全身播種があった場合。

もちろん?「悪性腫瘍(悪性新生物)による死」ということになるんだけど。

現行の死因統計、原死因分類は、
ある臓器の悪性腫瘍の全身播種の結果として死んだ人は、
もう「自然死」ではない、「病死」である、
という社会的メッセージを送り過ぎてしまっている、と私は考えているので。

まだ自分でもちょっと考えてわかる限りでも、突っ込みどころ満載。

・英語ではどう表記するの(未定)
・嘘やごまかしが入りにくい死因の概念として、社会的な合意形成があり得るの
(これは超難関。はっきり言って、まだまだわかんない。
 SIDSのように病理解剖で確認されていること、としてみるかな…。)
・障がい者は健常死しないの
(これは絶対、否定したい。すべての人が健常死できるもの、として定義したい。)
・他の死因とのすみ分け。
(これが一番厄介なところだろーなー。)
・病理診断としてあり得るの。
(SIDSだって病理診断される時代なんだから、できない訳はない、と私は思っちゃうけど。)

・・・などなど。
他者からフルボッコにされるのは精神的にキツイので、
今は自分で考えて、自己批判もしながら、ネット上で公表してるだけ。

死について語ることが社会的タブーと今もされているのかどうかは私にはよくわからない。
とりあえず、ゆっくり考えて行こうっと。

私がやらなくても、誰かがやってくれるなら、それでいいと思うし。

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