« Twitterはじめてみました | トップページ | 「こどもの病気とのつきあいかた」原稿 »

2010年4月 3日 (土)

誤診はゼロにできない

リンク: 救急搬送の女性死亡で医師送検 警視庁、業過致死容疑で - 47NEWS(よんななニュース).

今回報道された事件について、亡くなられた患者さん、残されたご遺族に哀悼の意を表明させていただきます。

「適正に検査、処置をしていれば、救命できた可能性があった」というのは事実だと思います。
子宮外妊娠を念頭に置いて検査、処置をしていれば救命できた、ということでしょう。

一方、診療した時点で現在の医療水準に照らして(ちゃんと最新の知識を得て、間違いなく検査し診断も間違えずに適切なタイミングで治療を行い)救命可能なものはすべて救命すべき、1000人の患者が生還していても一人の患者の救命ができなかったら警察の出番、というのが今の時代の社会正義なのでしょうか。
いろいろ難しい問題を含んでおり、私にはわかりません。

わかることだけを二つ、書いてみます。

一つは救急医療の問題。
大まかに言って、「救急患者」の100人のうち95人くらいは医者が何をしても(何もしなくても)死なない、のだと思っています。(私がそう思っているからといって事実かどうかは別ですよー、私は救急患者を診ない病理医ですからー。)
でも、100人のうち5人くらいは放っておくと「危ない」。すぐ治療したり入院させたりする必要がある。

その、100人の5人を見分けるのが、実に容易ではありません。
目の前にいるこの一人の患者は95%の「死なない」患者なのか、5%の「危ない」患者なのかを、見分けられるようになりなさいね、と研修医には言います。
ベテラン救急医は「だいたい、わかる」と言います。
経験と知識と道具(検査)と勘を総動員すれば、わかるんだそうです。

でも、どんなべテラン医師でも誤診をゼロにはできません。
この事実を、日本の医療界はずっと黙ってきました。
私はこれも「偽装」の一種だと思っています。

もう一つ、私がわかるのは「誤診」の問題です。

以前に参加したアメリカ・カナダ病理学会ではMy worst diagnosis of the lifeというセッションがありました。高名な医師が次々と壇上にあがり、「生涯最悪の誤診」について詳細に語るという発表会です。
訴訟社会のアメリカでこんな発表して、訴訟を起こされるのが怖くないんだろうか、とも思いましたが、「失敗から学ぶ」という姿勢は明瞭でした。日本でも、そういう動きはありますが、まだまだ足りません。

病理医の立場で、臨床医の誤診に遭遇することは決して珍しくありません。まぁ私は病院勤務の病理医ですので、それが仕事でもあるというか、臨床医が見落としても私が見つければ患者さんには迷惑がかかりませんので、臨床の先生方には「ちゃんと検体出してくださればいいんです、安心して誤診してください(笑)」なんて冗談を言うことさえあります。

あくまでも冗談です。正しい臨床診断がなされていた方が病理診断もより正確になり、病理医の誤診も予防されます。
そう。病理医も誤診しますから。

一生忘れない「見落とし」=誤診、が私にもあります。標本をもう一度、見直しても、どうしてコレを誤診してしまったのか・・・と暗澹たる気持ちになってしまい、冷静になりきれないような痛恨の誤診です。
一度きりではありません。過去の誤診を思い出すと、なんであんなヒドイ間違いをしたのに私はエラそーに病理医続けてるんだろう、と思ったり。でもここで私が病理医を辞めたら、ウチの病院には病理医がいなくなるし・・・辛いところです。
誤診直後の患者死亡は幸い、現在に至るまで経験していないのですが、それは患者死亡と私の誤診との因果関係を私が認識していない(明らかになっていない)だけか、私自身の経験数がまだまだ少ないためか、それともただの偶然か、 としか思ってません。

見落としを減らすべく努力する、誤診をゼロにすべく努力するのが医師としての本分であるのは間違いないです。
が、どんなに努力しても誤診をゼロにはできない、と認められないのはただの認識不足、もっと言えば傲慢だと私は思っています。
「誤診はゼロにできる」と医師自身が言っているとしたら、なんて愚かな医師なんだろう、と。

100%正しい診断なんてない、のだと思います。
でも100%を目指して努力する、追及する、のが「100%の病理診断」だと元京大のM先生が言っておられました。
その通りだと思いますし、私も100%を目指す努力を続けたいです。

努力目標と、義務とは異なります。
「誤診をしないよう、最大限、努力すべき」というのは認めますが「誤診をしてはならない」というのは無理です。
私のようなそそっかしく欠けも多く間違えてだらけの人間が、今後一生、誤診をしないなんて、どうひっくり返っても誓えません。
自然にまかせると私は間違える、だから間違いを減らすような工夫を重ね、必死で誤診を予防している、とも言えます。自分の間違いを発見したらできるだけ患者さんの迷惑にならないように対処する、ということも心がけていますが、それも「私は間違える」ということが前提だからです。

うまくまとまりませんが、医師が業務上過失致死罪の容疑者として・・・という報道に接するたびに、過失だらけの私はどうやって医師を続けていけばいいのだろう、と思います。
法律用語の「業務上過失」が、必ずしも私の日常にありふれている「間違い」と同一ではない、と頭ではわかっているのですが、根が小心者なので、怖いです。

|

« Twitterはじめてみました | トップページ | 「こどもの病気とのつきあいかた」原稿 »

コメント

誤診を 素直にあやまりましたか? 訴訟が怖くて 逃げの姿勢でしたか?

-----コメントありがとうございます。slummyです。

まず、コメントを書いていただく際にはたとえ匿名であってもニックネームでかまいませんので、お名前をご記入ください。名前もメールアドレスもURLの記入もない、つまり名乗りもしていない相手に対して真面目に答える必要があるのだろうか、としばらく考えてしまいました。

ですけれど、ご質問の内容には何かしら私の心を動かすものがありましたので、一つの新たな記事として回答をさせていただくことにしました。

「誤診はゼロにできない」
http://slummy.cocolog-nifty.com/oshiro/2011/01/post-0d85.html

投稿: | 2011年1月31日 (月) 05時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 誤診はゼロにできない:

« Twitterはじめてみました | トップページ | 「こどもの病気とのつきあいかた」原稿 »