« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月28日 (水)

「こどもの病気とのつきあいかた」原稿

「こどもの病気とのつきあいかた」というタイトルで、ウチの子達がお世話になった保育園で話をさせてもらうことになりました。
2歳児クラスの保護者会の後に、15分程度で、ということでお話しする予定です。

どういう話をするか、を考えている最中です。
話したいことを考えてると、私の散漫な頭には思いつくことがあれこれ次々と・・・。
病理学会に出るために乗った飛行機の中で、いっぱいメモができました。
その一部をここに載せておきます。

とりとめもない内容ですみません。
15分で終わるよう、これから内容を整理し、削りまくる予定です。
---------------------------
「こどもの病気とのつきあいかた」

これから、一つ、みなさんに質問をします。
「はい」か「いいえ」のどちらかに必ず、手を挙げてくださいね。
できるだけ正直にお願いしますよ。

質問:保育園からお子さんが病気なので、引き取りにきてください、と電話がかかってきました。電話を切ったあと「ああ、子どもをすぐ病院につれていかなくちゃ」と思いますか?

   はい  いいえ

「はい」の人は子どもを大切にしている、子ども思いの保護者さんです。
そういう気持ちはとても大事ですから、お子さんを大切にする心を、これからも持ち続けてくださいね。
ですけれど、別の見方をすれば、「病院につれていけば子どもの病気を治せる」「子どもが病気になってもすぐに治すことができる」と考える傾向が、やや、強いかもしれません。

それが悪いと言いたいのではありません。
ただ「自分にはそういう傾向があるかもしれない」ということは、心にとめておいてくださいね。

実際には、病院に行けば早く治せる病気もあるけれど、すぐには治せない病気もある(コントロールできる病気と、できない病気がある)というのは、みなさん、よくおわかりだと思います。

「いいえ」の人は・・・あえて正解を一つ、というのなら、どちらかといえばこちらが正解に近いんじゃないかと私は考えています。
病院に連れて行く前に、することがある、という意味です。

親が、自分の目で実際に子どもを見て、声をかけて、子どもの様子や反応を観察すること。
親が、自分の手を子どものオデコ(うなじ、の方が熱はわかりやすいかも)に当ててみて、子どもの熱の程度を実感すること。

それをしてから、病院に行くかどうかを決める、というのが正解じゃないかと思うんです。
保育園からの電話連絡だけで「病院に行く」と決めるのは早すぎる、と私は考えています。



大原則:

 家で看病できる病気はたくさんある。
 家で大丈夫、と思える状態の時は家で。
 急いで病院に行ったから早く良くなる(保育園に預けられるくらい元気になる)という病気はホントは少ない

たとえば・・・
 熱が高い、と保育園から連絡があった

 迎えに行ってみたら、熱の割には元気
 (全身状態が良い)
 水分を飲めている(脱水のおそれがない)
 おしっこがちゃんと出ている
 (脱水状態だとおしっこが出なくなる)

 熱が出始めた最初の日にこれなら、とりあえず、心配のない熱。
 たとえ40度の熱であっても、急いで病院を受診する必要はありません。
 翌日まで様子をみても大丈夫。


保育園から連絡があった時に、ソッコーで決めなくてはならないこと、というのは実は一つだけ。親の仕事のこと。
誰が保育園に子を迎えに行くか。
そしてたぶん休むことになる明日の仕事はどうするのか。
・・・という問題だけ。これは子どもの問題ではなく、親の問題。
でもとても大きな問題。

誰が迎えに行くか?=日頃から話し合っておく
・親のどちらか(シングルの方、すみません)
  どちらか一方ばかりにしない。夫婦は平等。
・おじいちゃん、おばあちゃん
・それ以外の人

注:自分が迎えに行かないのなら、身内であっても「(お迎えに行ってくれて)ありがとう」という一言を絶対に、忘れずに。忘れると次に行ってもらえなくなるかも。

こどもの病気で仕事に穴をあけてもクビにされないために。

「いてもいなくてもいい人」を目指さない(急な休みが多い → クビ)
「仕事がデキる人」を目指す(いないと困る、いるとありがたい人になれば、突然、休むと迷惑 → ありがたみがわかる、急に休んでも他の日に仕事に貢献することでフォロー)

・日頃の働きぶりが大事
・急に休むことになって申し訳ない、と言葉と態度で表現する、その姿勢を崩さない
・ただし「ここぞ」という時はカンペキに決めてみせる

・仕事上でブレイクするのは10年後、と考える(by 日垣隆)

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2010年4月 3日 (土)

誤診はゼロにできない

リンク: 救急搬送の女性死亡で医師送検 警視庁、業過致死容疑で - 47NEWS(よんななニュース).

今回報道された事件について、亡くなられた患者さん、残されたご遺族に哀悼の意を表明させていただきます。

「適正に検査、処置をしていれば、救命できた可能性があった」というのは事実だと思います。
子宮外妊娠を念頭に置いて検査、処置をしていれば救命できた、ということでしょう。

一方、診療した時点で現在の医療水準に照らして(ちゃんと最新の知識を得て、間違いなく検査し診断も間違えずに適切なタイミングで治療を行い)救命可能なものはすべて救命すべき、1000人の患者が生還していても一人の患者の救命ができなかったら警察の出番、というのが今の時代の社会正義なのでしょうか。
いろいろ難しい問題を含んでおり、私にはわかりません。

わかることだけを二つ、書いてみます。

一つは救急医療の問題。
大まかに言って、「救急患者」の100人のうち95人くらいは医者が何をしても(何もしなくても)死なない、のだと思っています。(私がそう思っているからといって事実かどうかは別ですよー、私は救急患者を診ない病理医ですからー。)
でも、100人のうち5人くらいは放っておくと「危ない」。すぐ治療したり入院させたりする必要がある。

その、100人の5人を見分けるのが、実に容易ではありません。
目の前にいるこの一人の患者は95%の「死なない」患者なのか、5%の「危ない」患者なのかを、見分けられるようになりなさいね、と研修医には言います。
ベテラン救急医は「だいたい、わかる」と言います。
経験と知識と道具(検査)と勘を総動員すれば、わかるんだそうです。

でも、どんなべテラン医師でも誤診をゼロにはできません。
この事実を、日本の医療界はずっと黙ってきました。
私はこれも「偽装」の一種だと思っています。

もう一つ、私がわかるのは「誤診」の問題です。

以前に参加したアメリカ・カナダ病理学会ではMy worst diagnosis of the lifeというセッションがありました。高名な医師が次々と壇上にあがり、「生涯最悪の誤診」について詳細に語るという発表会です。
訴訟社会のアメリカでこんな発表して、訴訟を起こされるのが怖くないんだろうか、とも思いましたが、「失敗から学ぶ」という姿勢は明瞭でした。日本でも、そういう動きはありますが、まだまだ足りません。

病理医の立場で、臨床医の誤診に遭遇することは決して珍しくありません。まぁ私は病院勤務の病理医ですので、それが仕事でもあるというか、臨床医が見落としても私が見つければ患者さんには迷惑がかかりませんので、臨床の先生方には「ちゃんと検体出してくださればいいんです、安心して誤診してください(笑)」なんて冗談を言うことさえあります。

あくまでも冗談です。正しい臨床診断がなされていた方が病理診断もより正確になり、病理医の誤診も予防されます。
そう。病理医も誤診しますから。

一生忘れない「見落とし」=誤診、が私にもあります。標本をもう一度、見直しても、どうしてコレを誤診してしまったのか・・・と暗澹たる気持ちになってしまい、冷静になりきれないような痛恨の誤診です。
一度きりではありません。過去の誤診を思い出すと、なんであんなヒドイ間違いをしたのに私はエラそーに病理医続けてるんだろう、と思ったり。でもここで私が病理医を辞めたら、ウチの病院には病理医がいなくなるし・・・辛いところです。
誤診直後の患者死亡は幸い、現在に至るまで経験していないのですが、それは患者死亡と私の誤診との因果関係を私が認識していない(明らかになっていない)だけか、私自身の経験数がまだまだ少ないためか、それともただの偶然か、 としか思ってません。

見落としを減らすべく努力する、誤診をゼロにすべく努力するのが医師としての本分であるのは間違いないです。
が、どんなに努力しても誤診をゼロにはできない、と認められないのはただの認識不足、もっと言えば傲慢だと私は思っています。
「誤診はゼロにできる」と医師自身が言っているとしたら、なんて愚かな医師なんだろう、と。

100%正しい診断なんてない、のだと思います。
でも100%を目指して努力する、追及する、のが「100%の病理診断」だと元京大のM先生が言っておられました。
その通りだと思いますし、私も100%を目指す努力を続けたいです。

努力目標と、義務とは異なります。
「誤診をしないよう、最大限、努力すべき」というのは認めますが「誤診をしてはならない」というのは無理です。
私のようなそそっかしく欠けも多く間違えてだらけの人間が、今後一生、誤診をしないなんて、どうひっくり返っても誓えません。
自然にまかせると私は間違える、だから間違いを減らすような工夫を重ね、必死で誤診を予防している、とも言えます。自分の間違いを発見したらできるだけ患者さんの迷惑にならないように対処する、ということも心がけていますが、それも「私は間違える」ということが前提だからです。

うまくまとまりませんが、医師が業務上過失致死罪の容疑者として・・・という報道に接するたびに、過失だらけの私はどうやって医師を続けていけばいいのだろう、と思います。
法律用語の「業務上過失」が、必ずしも私の日常にありふれている「間違い」と同一ではない、と頭ではわかっているのですが、根が小心者なので、怖いです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »