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2010年1月17日 (日)

県立北部病院産婦人科問題の年譜

私の勤務先でもあり、私自身が3人の子を出産した県立北部病院産婦人科。
これまでの事実関係を整理するために年譜を作ってみました。

事実を整理し、記録するのが目的ですので、関係すること(北部地区医師会婦人科の件など)も年譜に入れています。リンクもできるだけ貼ってみました。

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   県立北部病院産婦人科問題 年譜

2005年3月 県立北部病院産婦人科 医師退職のため休診

2005年4月 県立中部病院より週1回産婦人科医1名の業務応援開始(院内コンサルトと婦人科外来経過観察患者の診療)

2005年9月 県立北部病院産婦人科の再開・存続を求める北部12市町村総決起大会開催(参加者は主催者発表で1700人)

2006年1月 市長選候補者への応援演説にて小池百合子沖縄担当相(当時)が「防衛医官を派遣する」と発言

2006年4月 小池百合子沖縄担当相、記者会見で派遣について発表

2006年6月 防衛医大からの産婦人科医派遣開始、県立中部病院からの応援終了(産婦人科学講座教官延べ6名が一人ずつ1~2週間交代で勤務。業務は院内コンサルトが主、入院患者の主治医になることはなく、外来診療、救急診療はなし)

2006年11月 北部地区医師会病院、婦人科診療を開始

2007年3月  防衛医大派遣終了

2007年4,5,6月 1名の産婦人科医が内閣府&県のドクターバンク事業で月に5日間だけ派遣(業務形態は防衛医大と同じ)

2007年7月(?) 北部地区医師会病院より、産婦人科医1名の業務応援開始(院内コンサルトと婦人科外来経過観察患者の診療)

2007年9月 北部地区医師会病院、婦人科休止

2007年12月 産婦人科医2名着任(常勤)

2008年2月 婦人科再開

2008年7月 産科(部分)再開(=救急なし)

2008年11月 産婦人科医2名着任、4名体制へ

2008年12月 産婦人科予約制廃止

2009年1月 産婦人科救急診療再開(全面再開)

2009年4月 産婦人科医2名退職、1名着任

2009年10月 産婦人科医1名退職、産科救急および婦人科休止

2010年2月末 分娩予約停止(3月末で1名退職予定のため)
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年譜作成にあたっては私自身の記憶と、手持ちの記録を中心にしています。
ネットで調べたものをまとめなおした訳ではありません。
当時の新聞記事などをリンクしてみましたが、リンク先の記載内容には間違っていることも多々あります。防衛医大の産婦人科講師、助手は「防衛医官」ではないのに、間違ったまま記載しているこの記事などは、ひどすぎると思いつつも、リンクしています。

防衛医大からの医師派遣は有名ですが、産婦人科再開には至らなかったこと、産婦人科医が全国一少ない埼玉県から沖縄に無理に派遣したことによって埼玉県民に多大な迷惑をかけたこと、交通費および滞在費のために多額の税金(沖縄県の支出となっているはずです)が投入されたことなど、一般には知られていません。





以下、年譜を作りつつ思ったこと。

地域住民のみなさん。
みなさんが「あきらめた」・・・としたら、産婦人科の再開はなくなります。
二転三転していますが、どうか、あきらめないでください。

県にまかせるだけで産婦人科は再開しないでしょう。
「産婦人科を再開させてください」と言うだけ、ではダメなんです。
微にいり細をうがって行動していかないと、このご時勢に、産婦人科は再開できません。
(微にいり細をうがって、というのは河合隼雄。←リンク先はpdfファイルです。)

といっても、何をしたらいいのだろう、と思われるかもしれませんが。
そのヒントになるような話を、書いておきますね。
長くなりますが「ある村長の物語」を全文、引用させていただきます。
これを書かれたのは地域医療に献身しておられる外科の先生です。
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合併前のこと、当町に隣接してK村というのがあった。

隣接しているが、山があるので中心部に行くにはひどく遠回りしなければならなかった。
そこには診療所があった。もちろん手術などできない。手術がしたい盛りの外科医は赴任などしたくない。外勤などいくと自分の病棟がおろそかになる。

そこにはK村長がみえた。村長は診療所に毎日医者が来るようにすることを公約にした。
それから、村長は とにかく一生懸命やった。給与は大したことはなかったが、医師が帰るときはお礼の挨拶におとづれ、花火大会など事あるごとにバーベキューに招待し・・・官官接待というのかもしれないが、お店など使わずに、自宅で自分で汗を流してウナギをとって御馳走してくれた。

皆 次第にこの村長をほうっておけなくなった。そして、外科小児科も含めて毎日医師が詰めるこの規模としては夢のような診療体制が実現したのだ。

しかし、それが実現したころ、この村長は亡くなってしまった。大学からはさまざまな教室から教授クラスが葬儀に参列した。

それから 数年間 この診療所は続いた。皆 村長の事を忘れていなかったのだ。

合併がすすんで、K村はS市になった。

ある日、事務員がやってきて、医者にお昼の弁当出すのはおかしいから有料にするといってきた。あたりに店がないので、前村長はお弁当をだしていたのだ。

皆、それはそうですね・・・と言った。

年度替わりの時に 一斉にすべての科が診療所撤退を通告した。
どんなに条件をあげても 皆 絶対にいかなかった。
自分も嫌だった。

これは、食い物の恨みだろうか・・・そう思うと情けなかったが、どこかなにか違う感覚があった。

今ならわかる。
自分たちが この診療所で診療していたのは、お金のためでもなんでもないのだ。もっと大切なものを受け取っていたからなのだ。
事務員が弁当代をケチった時、皆をつないでいた糸がプツリ・・・と切れてしまったのだ。

この事務員 診療所から医師がいなくなったのは、新臨床研修医制度のためだと、吹聴しているらしいが、少なくとも、この診療所から医師がいなくなった直接の理由は違う。

 今は、我々よりも相当に高額で派遣医師に週一回程度来ていただいているらしいが、本当に医師が欲しいものは金ではないのに、それを金で買おうとするから、高額になるし、高額になってもなかなか医師は来ないし、長続きしない。

自治体サイドに 「使用人ふぜいが・・・」 というところが 見えると、もう駄目だ。

(もちろん、バスにのっていけぱ、ここの住民はS市の大病院までいけるということもあって撤退したわけではあるが・・・。)

亡くなった村長は 実際、大変な低コストて医師達の心を掴んでいた。

あらためて、その村民に尽くした有能さを思う。 

合掌

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この物語は「地域医療~再生への処方箋」(伊関友伸 著)にも全文掲載されています。

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