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2009年5月14日 (木)

病理医は病理解剖をなんと思っているか

あくまでも私、個人の話です。病理医みながどう思ってるかは知りません…。

ある時、いきつけの美容院で、美容師さんに「解剖をしてるんですってね!」と尊敬半分、恐れ半分といった調子で話しかけられて、びっくりしたことがありました。

・・・ええ、確かに。
私は病理医ですから、病理解剖を執刀することも、私の職務の一つです。
口では美容師さんにそう答えつつ、内心は「ああ、私のイメージってものがあるから、内緒にしてたのに、誰がこんなところでバラしたんだ~~!」と思ってました(笑)

その美容師さんに話したのは同僚の一人で、噂話の中で、私の話になったんだそうです。
悪気はないんですけどね。
でもなんだか、私の秘密を勝手にバラされてしまったようで、恥ずかしかったです。
解剖を執刀する立場にあることが知れる、というのは、イメージダウンだと自分でも思ってたのでしょう。

世間では一般的に、解剖(病理解剖を含む)って、昔の「腑分け」のようなイメージというか、「バラバラ殺人の順序を逆にしただけ(死んだ人をバラバラにする?)」というような、むごたらしいイメージがあるのだと思っています。
でも・・・解剖を執刀する私の立場では、全然、違うんですけどね。

という訳で、一人の病理医である私が、病理解剖についてどういうイメージを持っているのかを、できるだけわかりやすく書いてみます。

岡井隆という歌人に「神の仕事場」というタイトルの歌集があります。
【神の仕事場】・・・です。みなさんは、このタイトルから連想する場所がありますか?

このタイトルから私が連想するのは、病理解剖室です。
病理解剖室は、私にとって【神の仕事場】。
・・・いや、もちろん、私自身の仕事場でもあるんですけどね。
神様と一緒に働く場、というか。
そこに神様がいるから、仕事ができる場所、というか。
【神の仕事場】というタイトルで、病理解剖室を連想するくらい、私にとって病理解剖は神聖なもののようです。

もう一つ、私の好きな表現は「病理解剖は医学葬である」というものです。
「医学葬」という言葉で、何を表現しているのでしょう。

病理解剖は、医学的な真実を追究する場です。
個人の死を、医学の技術でもって弔うのが医学葬たる病理解剖です。
医学的な真実を追究し、医療の進歩に貢献しつつ、葬儀としての厳かな雰囲気の中で行われる・・・そんなイメージです。

病理解剖は、ご遺体を師として、ご遺体に学ばせていただく、貴重な貴重な機会だとも思っています。
生前どういう方であったかには関係なく、病理解剖室の解剖台の上に横たわっただけで、そのご遺体は私たち医学、医療に携わるものの「師」となります。
一人の方の死に学ばせていただき、その死を、他の人たちの病態理解、病気治療のために活用させていただくのが、病理解剖なのですから。

ご遺体の「声なき声」を聞き取り、ご遺体の病気の状態や死因を把握するのは、たくさんの楽器が奏でるメロディを重ねあわせて、壮大な交響曲を作り上げるのに似ているかな、とも思っています。

比喩だらけで、かえってわかりにくかったかもしれませんが、まぁ、大体、こんな感じです。
決して、むごたらしいものとは思っていません。

病理解剖を詠んだ自作の短歌でもって、この記事を終わります。

  解剖は医学葬なり 人の死を医学の技(わざ)で弔う儀式
 
  一言も語らぬ遺体の組織から交響楽を聴きとる作業

  ご遺体の黙した言葉を聞きたくて標本に向かう 何度も向かう

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コメント

俺なんかは、地元の連中と飲みながら話している際に、ばらし屋かぁって言われました。飲んだ席での自己紹介で専門は死体ですと申しております。あ、素人相手の時だけ(笑) 個人的には「神」も感じないし「師」とも思いませんが、今放送中の「臨場」みたいに病変は逃さず見つけるぞという意気込みはいつも持っています。

投稿: 元臨床医 | 2009年6月 4日 (木) 08時32分

師として・・・

最近手術をするとき
ちょっと忘れがちになっていて
どきっといたしました

投稿: hanamegane | 2009年6月 4日 (木) 20時57分

slummyさん、こんにちわ。澤田石です。
「病理解剖は医学葬である」! 本質をついた言葉だと感じ入りました。自分が担当した患者さんが無くなって病理解剖に最後に立ち会ったのはいつのことやら。
 思い起こすと、なんと1993年に秋田の某病院でが最後でした。その病院には脳外科の医局から派遣されて勤務していたのですが、病理医がいたのでできるかぎりご遺族には病理解剖をお願いしてました。脳卒中とか脳腫瘍でなくなった患者さんの病理解剖だったのですが、主病変の脳はもちろん、それ以外の諸臓器の「姿」を目で見て、解説していただくことに、いつもなんというか感動したものでした。
 亡くなった患者さんとの最後の神聖な交流といいますか確認といいますか、発見といいますか。

 医師かつ作家の北杜夫は父である斎藤茂吉の病理解剖に立ち会ったことを書物に書いていたことを思い出しました。北杜夫のなんて書名か忘れましたが、いい文章ですよ。

 病理解剖ができる病院で仕事をしたいなとふと思いました。

投稿: 澤田石 順 | 2009年6月11日 (木) 00時18分

はじめまして。slummy先生のこちらの記事に感銘を受けましたのでコメントさせていただきました。
最近原因不明の病で母親を亡くして、病理解剖をお願いしました。亡くなった時はただただ原因が知りたい、という思いでした。

本人は死んだ後にまた切られるなんて望んでなかったかもしれない…
これで良かったのか…、
と悩む毎日でした。
この記事を読ませていただいて、病理解剖をお願いしたことは間違いではなかったと思えるようになりました。
ありがとうございます。
昨日解剖の結果がでました。腹膜原発の中皮腫ということでした。
今までのたくさんの検査でもわからなかった病名へやっと辿り着き、母親へ報告できました。
これから中皮腫の治療法の確立のため、母親の病理解剖が役に立つと信じております。
長文失礼しました。


-----slummyです。

コメントありがとうございました。

一般の方がどのような印象を解剖に対して持っているのか、というのは私も完全には解りかねますので、病理解剖をご承諾くださったご遺族の方に、このようなコメントを頂戴できて、本当にありがたいです。

腹膜原発の中皮腫は稀ですので、病理解剖されても診断は決して容易ではなかったと思われます。

お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: ミホ | 2012年10月29日 (月) 15時07分

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