« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月13日 (月)

沖縄県の公立病院の現状について

上記のタイトルで、「地域医療の未来を考える懇話会」という会で発表してまいりました。
東京で開かれた50人規模の会合です。私の発表時間は15分。
世話役が旧知の間柄だったために私が発表することになった…というので大筋は間違ってないと思います。
その発表内容の概要を、こちらでも紹介したいと思います。
ネットからお借りしたスライドばかりなので、できるだけ借用元にリンクしつつ。
2
まずはこれ。この前提がないと話がしにくい。
私は一勤務医に過ぎませんので、その立場から見た、井の中の蛙による井戸の中の話です、という前提で、話をさせていただきました。

3 この画像はこちらにあったものです。
地理的な位置から、沖縄を中心にみると九州と台湾が同じくらいの距離で、東京や大阪はフィリピンと同じくらい、なんですね。

4 東京に那覇を置いてみた地図です。
(これはかつてこちらからのリンクで入手したものですが、現在はリンク切れになってしまっていますね・・・)
沖縄県って広い範囲に点々と島がある県だ、というのがわかると思います。この地図は後でもう一回、出てきます。

5 沖縄の公立病院の現況について話してくれ、ということだったのですが、沖縄の公立病院というのは図のように6病院。県立病院が大半です。
私は県立病院勤務ですし、主に県立病院の話をさせていただきました。

6 まぁ大体、こんな流れで話をしますよー、というスライドです。


最初は沖縄県立病院の分布から。8
この画像はこちらからお借りしたものです。




10私の勤務先からも画像をお借りしてます。
各県立病院には離島診療所が附属していること、沖縄県の人口はおおよそ130万人だが、その約9割が本島中南部に集中しているといわれていること(当院の診療圏は本島の半分以上の面積だけど人口密度は低い)などを説明しました。

11 これは県庁のこちらから拝借(35ページ)。
23ある離島へき地診療所のうち16は県立病院の附属となっています。

12さて、これが今回の発表で私が最もお勧め!というスライド。赤い点が県立病院の分布、青い点が離島診療所の分布です。
どれだけ広い範囲に点々と病院や診療所があるのか、よくわかるでしょう。北部病院がつくば市ぐらい、宮古病院は愛知県の渥美半島、石垣島にある八重山病院は奈良県にある、というぐらいの遠さです。

13 ということで、分布についてのまとめ。

15 次は歴史です。これはこちらこちらなどからまとめました。詳しくはスライドやリンク先をご覧ください。

19 医師供給源、というか、沖縄県立病院の医師はどこから来ていたのか、という話です。

21 県立病院の長所というか、優等生?(どうしても私はクエスチョンマークをつけてしまう…)というところです。

優等生、という表現はこちらから。(13ページ)

22 沖縄県の人口10万人あたりの医師数がどう推移しているか、というグラフです。これも沖縄県庁のこちらから(リンク先はマクロソフト・エクセルの表です、ご注意を)。

ずっと全国平均よりも医師数が少なかった沖縄が、平成16年から19年の間に全国との差をつめてきています。医師が増えている、ということ。

23 その理由は、医師臨床研修じゃないか、というのが私の仮説です。医師臨床研修の義務化が平成16年(マッチングはその前年)に開始しています。マッチング協議会(http://www.jrmp.jp/)が公表している資料をもとに、毎年の都道府県別マッチ率(マッチ者数/募集定員)ってのを計算して、上位5地域の年次推移をみました。沖縄は常に上位5地域の中に入っています。臨床研修を受けるため、他県から研修医が流入している、というのが私の理解です。

臨床研修義務化で、医学部を卒業したばかりの医師(=臨床研修医)が、都会の病院、都市部の病院に集まっている、と言われています。でもそれは間違いでしょう。
研修医(マッチング当時は医学生)は、自分が良い医師になれるような研修病院を選ぶ傾向があります。沖縄の臨床研修病院は、県立中部病院の臨床研修制度に追いつき追い越せ!の精神で、臨床研修医教育に非常に力を入れています。沖縄の臨床研修病院であればどこであっても一定水準以上の臨床研修医教育を行っている、と私は思っています。他県から見学にきた学生さんの話を聞いて、そういう印象を持っているのです。

24

「沖縄にきた研修医は沖縄に残らず、臨床研修が終わると他県に出て行くらしい」という説もあります。これは全県的なデータはないので、自院の臨床研修医について、2年間の研修修了後の就職先が県内であるか、県外であるか、を調べてみました。(調べるというか、人数が少ないので一人ひとり思い出せる…。)研修修了時点での残留率は55%です。これは決して低い数字ではないと思います。

25 これは、こちらの2ページ(pdfファイルとしては3ページ目)の表を見やすくするために病床利用率と平均在院日数を抜書きしたものです。

26 それから、救急搬送について。出典はこちら。(24ページ、pdfファイルとしては26ページ目)

沖縄では県立病院が救急車を断らない、ということになっています。メディカルコントロール(救急隊と救急病院との連携)も、県内は良好…だと私は思ってます、専門外の分野なので詳しく内情を知っている訳ではありませんが、うまく機能しているように思えます。

28
さて、欠点というか、劣等生である部分も列挙してみました。


29

これは伊関先生の資料から。(6ページ、pdfファイルの7ページ目)


30

そして、以前のフォーラムでも使った画像です。


33 最後に、県立病院改革の話をしました。



34 このスライドに挿入した写真はこちらのものです。
リンク先の新聞記事も、読んでみてください。



35 地元マスコミによる報道によって、県立病院問題は県民に広く知れ渡りました。しかし、正確でない報道もあり、誤解が生じているのは残念です。



そして最後のスライドです。36

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009年4月 1日 (水)

古代ギリシャの墓碑(2)

趣味のブログを続けます。
ギリシャの国立考古学博物館で、私が最も心を動かされた展示を紹介します。
Img_2752







若い女性が裸の男の子に鳥を手渡そうとする姿が描かれた彫像です。
男の子は膝をつき両手を差し伸べて、小鳥を受け取ろうとしています。
Img_2754







乙女の端正な横顔には朗らかな微笑みが浮かび、
交差する二人のまなざしからは確かな信頼と相互への愛情が感じられます。
娘の手首から流れる衣装の襞も美しく。
Img_2755







最初、見た時には女神とその属神かと思いました。
まず連想したのは美と恋愛の女神アフロディーテ(ビーナス)とその使いエロス(キューピッド)。
しかし、豊満な肉体の持ち主であるはずのアフロディーテとしてはあまりに清楚。
胸のラインなども衣装に隠れて明らかではありません。
アフロディーテよりは月の女神アルテミスの方がイメージにあっているかも。
それに、この男の子は5~7歳くらいの姿をしていますが、エロスはもっと幼い姿で描かれることが多いですし、この男児にはエロスにあるはずの背中の羽もありません。

同じ国立考古学博物館で、他の部屋に展示されていたアフロディーテとエロス、パンの群像は、こんな感じです。時代も300年ほど後のものですが、雰囲気はかなり異なります。
Img_3115







女神の名を確かめるつもりで解説を読み、愕然としました。

Img_2756
これは墓碑。
ムネサゴラ(姉)とニコカレス(弟)という姉弟の死を悼んだ両親によって立てられた、と彫像の上の碑文に彫られているそうです。

ということは、二人とも死者。
黄泉の国で一緒にいる姿を描いた、ということなのでしょうか。
暗い黄泉の国、というよりは、明るいあの世、天国?
それとも生前の姿なのでしょうか。
ともかく・・・

  弟(手をさしのべながら)「おねえちゃん、その鳥、ぼくにちょうだい」
  姉(優しく微笑んで)「いいわよ、はい、どうぞ」

・・・という二人の死者の交流を描いた墓碑だなんて。
もう一度、全体の画像を出しておきます。
Img_2757
姉はおそらく12~18歳、弟は上にも書いたように5~7歳でしょう。
二人の子を失った両親の嘆きが、この美しい大理石の彫像に隠されています。
どのような思いで、この墓碑を作り(完成品を購入したという説もあるそうです)
この碑を見つめて何を思ったことでしょう。
両親の思いは時を越えて、この碑を見た私の心を揺さぶったのでした。

もしギリシャ、アテネにある国立考古学博物館に行く機会があったら、ぜひこの碑をご覧ください。実物には私の撮った写真では決してあらわせない迫力があります。
観光案内にはこの墓碑は紹介されていませんが、見て損はないと思います。
ガイドブック等に必ず載っているのはその近くに展示されているデーメテール(豊饒の大地女神)の秘儀とやらですが、そちらの良さは私には理解できませんでした。
この墓碑の方がはるかに美しい、と私は思いました。

国立考古学博物館にはこのように、美しく、悲しい墓碑が、いっぱいありました。


参考サイト
アテネ/パルテノンと考古学博物館」広島大学、長田年広氏による講演録

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »