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2008年8月23日 (土)

死者には死因究明を、遺族にはグリーフケアを

8月20日、福島県立大野病院事件の判決が下りました。
無罪です。
まっとうな判決が下されたことに、安堵し、感謝しました。
その一方で、遺族の方々のコメントも、大変に悲痛なものとして読ませていただきました。
本当にお気の毒です。

報道された内容だけでこんなことを申し上げるのは失礼にあたるかもしれませんが・・・遺族の方々に本当に必要なのは、裁判ではなくグリーフケア(大きな悲しみに遭遇した方々への心理的援助、とでも訳せばよいのでしょうか?良い訳語が思いつきません)ではないかと思われます。

この事件では、死後の解剖こそされませんでしたが、法廷という場を借りて、現在の医学の知恵を尽くして徹底的に死因究明がなされたように私には思えます。
でも、ご遺族には、そうは思えないようです。
お気の毒です。

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私は病理医ですので、病理解剖も私の仕事に含まれます。
「なぜ、この方を解剖しなくてはならないのだろう、なぜ解剖が必要なのだろう」などと考えるまでもなく、仕事として病理解剖がやってくるので私は丁重に実施するだけなのですが、そんな私が拠り所としている考え方は「病理解剖は医学葬である」というものです。
現在の医学的手法を用いて亡くなった方を弔うのが、病理解剖である、と私は考えています。

「医師として、ご遺体に学ばせていただく」と言いかえてもよいかもしれません。
黙して語ることのないご遺体が発する声無き声を聞き取り、通訳し、他の医師たちにご遺体が教えてくださったことを伝えるのが病理解剖医の仕事・・・なんて書くと、かなり、いかがわしい印象を持たれるでしょうか。
そうではないんですけどね。
一人の方の死を教訓とし、学ばせていただき、今後の医学、医療に役立てさせていただく。それが病理解剖だと私は考えています。

解剖することによって、ご遺体がはっきり「死因」を教えてくださることがあります。
(解剖しても、死因が明らかにできないことは珍しくありません、念のため。)
亡くなられた方には、死因を明らかに(できるものなら)してもらう権利がある、のではないのでしょうか。
死因究明は公益であると同時に、死者の権利でもあると私は思います。

解剖で判明した結果は、遺族にも、もちろんお伝えすることになります。
しかし、遺族に必要なのはグリーフケアであって、その一環、その中で解剖結果、死因を伝えるべきではないかと私は思っています。

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今回、福島県立大野病院事件公判では、残念ながら、遺族に対して暴力的な方法で死因をつきつけたようなことになってしまいました。
死者には死因究明が必要ですが、遺族に必要なのはグリーフケアです。

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