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2007年3月31日 (土)

産婦人科の機能分担

「産婦人科」とひとくくりにされている中でも、実際の医療現場では機能が分担されています。
おおまかには、以下のような二つになるのです。

【1】産婦人科開業医
【2】総合病院(麻酔科など他科もある病院)の産婦人科

どう違うのか、をこのあと説明しますね。(長いです、すみません。)

【1】産婦人科開業医の場合

【1】には通常、一人の産婦人科医師と数名の助産師がいます。
ここに助産師さんがいるのは、お産が24時間、だからです。
一人で開業している産婦人科の先生は、助産師さんと一緒に「正常のお産(+アルファ)」をみています。
(+アルファ、と書いたのは条件つきで帝王切開する開業医の先生も多いからです。)

お産の95%は正常だともいわれています。ただし、正常のお産、というのはあくまでも「結果」です。
正常のお産だと思って様子をみていたら、母子どちらかの状態が悪くなった、そしたらその時点でそのお産はもう「異常」です。
「異常」という言葉はイヤーな感じなので【ハイリスク】とここでは書くことにします。
赤ちゃん、もしくはお母さんに命の危険がせまっている、という意味での【ハイリスク】です。陣痛が始まってから母子に危険がせまる「急変」もありますが、急変はできるだけ避けたいですし、あらかじめ予測できる【ハイリスク】もあります。

予測できる【ハイリスク】をちょっとあげておきます。
1)肥満:初診時80キロ以上(産道が体脂肪で狭く、赤ちゃんが出られない)
2)帝王切開の既往(傷あとがあるので子宮破裂などのリスクあり)
などなど・・・たくさんあります。

このような【ハイリスク】は妊娠が判明した時点で「開業医では無理」といずれもっと大きな病院【2】に紹介されることになります。
開業医の先生が一人でお産をとりあげるからには、難産が予測される妊婦さん、急変を起こしそうな妊婦さんは、適切な時点でもっと大きい病院に紹介して、母子とも万全の体制でお産にのぞんでもらうのです。

【2】総合病院(麻酔科など他科もある病院)の産婦人科

もっと大きい病院、というのが【2】です。
【1】では危険、対応できない、という妊婦さんのお産をひきうけます。
【ハイリスク】の妊婦さんの対応は、簡単ではありません。現代の臨床医学が総力でこのリスクに立ち向かい、母と子の安全をなんとか確保しています。
母子ともに安全に出産できるよう、24時間体制で産婦人科医と小児科医が病院内におり、必要ならば麻酔科医やもっと多くの医師も呼び出すことができる体制を整えているのが【2】の病院です。

この体制を整えるためには最低でも3人、できれば4人以上の産婦人科医が勤めている必要があります。(実際にはお産の頻度にもよりますが。)
一人の産婦人科医しかいなければ【2】としての機能を十分に果たすことはできないのです。

これだけでは、どんな感じなのか、わかりにくいかもしれませんので、例をあげてみましょう。仮にマミさんとしましょうか。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
マミさんは初めての妊娠で、開業医【1】にずっと通っていました。
妊婦検診での血圧や尿検査なども、特に問題ありませんでした。
陣痛が始まって開業医を受診したら、上の血圧が220を越していました。
救急車でもっと大きな病院【2】に運ばれてそこで帝王切開になりました。
赤ちゃんもマミさんも、元気でなにごともなく家に帰りました。
☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

マミさんは「正常なお産」になるはずだった人が急変した例です。
たとえば自宅で(「産婆さん」の手助けを借りて)お産をするのが当たり前だった50-60年前だったら、赤ちゃんは助かっても、マミさんは産後の肥立ちが悪くて、亡くなっていたかもしれません。

1950年の日本では10万人に176人の妊産婦が亡くなっていました。
当時のお産は自宅分娩が主流。産婦の95%が自宅でのお産でした。
99%が病院でお産をする2000年の妊産婦死亡は10万人に対して6.3です。
数字だけみていても実感しにくいことですが、マミさんの例で、少しはわかっていただけたでしょうか。

さて、マミさんのお産に必要な医師の人数をみてみましょう。
マミさんは意識していないかもしれませんが、マミさんのお産は緊急帝王切開、と呼ばれるものであったはずです。
緊急帝王切開であれば、まず麻酔科医が一人。麻酔としても簡単なものではなく、かなり気をつかう。
帝王切開術を行う産婦人科医が二人。
それから、小児科医が最低一人。
これもあまり知られていないことですが、【2】の病院では帝王切開が行われる手術室には必ず小児科医が待機しています。
赤ちゃんが子宮から出ると同時に全力で赤ちゃんの命を守る仕事を始めます。
仮死状態で生まれた赤ちゃんであれば、NICU(新生児集中治療室)に移し、24時間小児科医がつきっきりで治療します。だから最低一人、というのはあくまでも赤ちゃんが元気で生まれたことが前提です。

さぁ、これまでで何人の医師がいたでしょうか?

答えは4人。
予定通り【1】の開業医でお産したのであれば、産婦人科医一人だけです。
同じお産といっても【1】と【2】ではこんなに必要な医師の数が違います。

【ハイリスク】のお産は、正常のお産とはまったく違うものなのです。

そして、正常のお産が、突然【ハイリスク】になってしまうのも、お産の怖いところです。

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閑話休題。

なぜこのような専門外のことを一生懸命書くのか、というのを説明しておきます。
それは私自身がマミさんと同じ立場だからです。お産は3回とも帝王切開です。
【2】に属する総合病院でお産をしています。
最初の子のときは微弱陣痛40時間、午前3時からの帝王切開でした。
子供は数日、新生児集中治療室にいましたが、その後は元気に育っています。

私は母であると同時に医師です。
医師として、私は以下のことを思わずにいられないのです。

 私が「産婆さん」の時代にお産をしていたら、
 初回のお産で命を落としていたでしょう。
 3人の子供たちも生まれることがなかったでしょう。

今、私と子供たちに命があり、こうしてブログを書くこともできるのは、
【2】に属する総合病院で仕事をしていた産婦人科医、麻酔科医、小児科医、
手術室そして産婦人科病棟のナースたちをはじめとするスタッフのおかげです。

このことを、一生、忘れてはならない、と思っています。

しかし今【2】の病院で働く産婦人科医が減っています。
自分のお産の時には大丈夫だった、恩恵を受けられて良かった。
・・・それだけでいいのか?と思ってしまいます。
そのうえに昨年【2】に属する病院で働いていた産婦人科医が逮捕されました。
逮捕された理由は、到底納得がいかないものです。

私にできることを、していきたいです。ここでの情報発信もその一つということで。

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防衛医大の先生方、ありがとうございました

**以下はあくまでも個人的な見解、意見であって、私の所属する施設や機関を代表してのものではないことを最初にお断りしておきます**

防衛医大による産婦人科医の派遣が3月いっぱいで終了しました。

はるばる名護まで来てくださった先生方、お疲れ様でした。
遠いところを、沖縄県北部地域住民のために、本当にありがとうございました。

この地域で行われた市長選挙の前に、ある候補(現市長)の応援演説にきた当時の沖縄担当相が「休止している産婦人科に防衛医官を派遣する」という発言をしたのが、そもそもの始まりだったと思います。(当時の新聞記事
産婦人科医の退職などによって、産婦人科が休診になっていたのはその前年。
地域には開業産婦人科医が二件あるのですが、それでも地域の基幹病院の産婦人科休診の影響は小さくありません。開業医と病院とではお産など診療内容が違うのです。
(一般の方にはわかりにくいと思いますので、別項目で詳しく説明します。)

さて、3月いっぱいで防衛医大の派遣が終了することについて、今朝の新聞に載っていました。しかし、間違いだらけの記事です。

まず「防衛医官」というのが間違いです。
見出しから誤っている新聞記事には、ため息が出ます。
実際に来たのは、医官(=医師である自衛隊員)ではなく防衛医大産婦人科の文官(シビリアン)である防衛医大の先生方(助手~教授)です。
せめて防衛医大教官、と書くべきでしょう。

「やんばる母と子のいのちを守る勉強会」で沖縄県北部地域の産婦人科問題を現場近くの者たちが話し合っており、赴任後まもなくの勉強会のメモも公開されています。

今日の新聞記事で「週1回診療を受け付けていた」というのも誤解を招く表現で、週1回の外来では新患および産科は受け付けていませんでした。
主な勤務内容は他科からの院内コンサルトのみです(コンサルトは随時)。
県と防衛庁との間で結ばれた協定でそういうことになったのだそうです。
1~2週間で数人の先生が一人ずつ交代で派遣されて来るのですから、継続的に患者さんをみるのは難しく、外来再開は無理でした。

実際に赴任した医師は、感じの良い先生方ばかりでした。
少なくとも私が受けた印象では、国立大学病院に勤務する医師、防衛医大の教官である前にみなさんそれぞれが一人の産婦人科医、という風に感じられました。
派遣された先生方は大学勤務の産婦人科医としての専門領域もあり、病院内での勉強会(EPCにも出席してもらいました)や地域医療機関との学術的な懇話会、地域の人たちを対象とした講演会などでも、お世話になりました。

先生方の産婦人科医としての手腕は、私にはわかりません。
臨床の場で実力を発揮していただく機会が、残念ながらほとんどありませんでした。
いや、一点だけ。
婦人科領域の細胞診における細胞採取はどの先生も適正でした、と言えます。

防衛医大産婦人科が地域で果たしている役割についても教えられました。
沖縄県民のほとんどは知らないと思いますが、防衛医大は埼玉県所沢市にあり、埼玉というのは実は県民人口に対する医師人口が非常に少ない地域なのです。人口は多いのに医大は二つ(埼玉医大と防衛医大)しかないし、語弊のある表現を敢えてしてしまうと、都市部にあるのは防衛医大だけです。そこでの大学病院としての高度な診療を少人数の産婦人科医師たちで行っていた中からの、一般市中病院で産婦人科医一人という状態での沖縄県北部への派遣です。
一人の沖縄県民として、この派遣のために迷惑をかけてしまった埼玉県民に、大変申し訳ないと思わずにはいられませんでした。

派遣された防衛医大の先生のおかげで救われた命も確かにありました。
しかし病院現場から沖縄と埼玉の現状を考えると、この派遣には無駄が多く、防衛医大産婦人科への負担も大きすぎました。
3月に前倒しで派遣終了されたのは賢明な判断です。
政府には、こんな無理な形での医師派遣はもうしないでいただけないか、と申し上げたく思います。

一般論としても「産婦人科休診中の地域中核病院に対して産婦人科医師を一人派遣する」のは、無意味だと思います。
地域中核病院の産婦人科を機能させるには、最低3人の医師。
できれば4人以上の常勤産婦人科医師と、数人の非常勤医が必要でしょう。

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2007年3月22日 (木)

病院で病理医になる

*コメント下さっている皆様、コメントありがとうございます。
 ぜんぜん、返答できてなくてすみません。一つ一つにお答えしている時間がないのです。
 が、私としてはコメントいただいただけで何だか親しくなったような気分でいます。 
 唐突に声をかけるかもしれませんが、気が向いたら相手してやって下さい。
 どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて。
今回は宣伝というか・・・こういうのを載せるのは本当は恥ずかしいんですが。
私の病理の恩師が雑誌(日本語の専門誌)に病理医の研修について書いてまして、
その中で私も少しですが、書かせていただきましたのでご紹介しようかと。

専門誌とはいえ、学生向けの連載としての文章なので、そんなに難しいことは書いて
いません(・・・難しいことは書けない、という見方も)。
pdfファイルで全9ページ、6ページ目の終わりに私が出てきます。
興味をもたれた方はどうぞお読みください。

文光堂のサイトへと飛びます

今、日本で病理医として働いている人の大多数は、大学で病理医としてのトレーニングを受けた人たちなんですが、私は大学に所属したことがなく、病院で一人働いておられた師匠にマンツーマンで指導を受けるような形で、病理医としてのトレーニングをしました。
資格は全部病院にいる間にとり、学位論文(博士号)の研究も、師匠の指導の下、病院で通常業務の合間にやりました。

日本の病理医の経歴としては一般的ではない、と自覚しています。

一子相伝の秘伝というようなものはありませんが、恩師は本当に恩師、私の病理医と
しての多くは師に学んだものです。師匠の下を離れるのは辛かったですが、円満に
退職して沖縄にやってきました。今も心から尊敬している師匠です。

私が病理を志したあと、それが呼び水となったのか、次々と若い医師が病理医に
なりたい、と師匠のもとにやってくるようになりました。年間一人程度のペースだった
ので、私の下に入り、一緒に病理の仕事をおぼえていきました。
優秀な人もいましたし、困った人もいましたが、優秀な人の長所を伸ばすのはもちろん、困った人であっても持っている才能を伸ばし社会に迷惑をかけず仕事ができるように教育する、師匠の手腕には本当に感心したものです。
どうして・・・ああいうことができるんだろう、と。

いつまでも弟子気分が抜けない私ですが、気がつくと師匠が私を育て始めた年齢になってしまっていました。まぁ、私は師匠よりもいろいろペースが遅いので、まだ焦るつもりはないんですが、こうして育てていただいた以上は、自分も若手を育てて、まともな診断ができる病理医を一人でも世の中に送り出すのが、師匠への恩返しにもなるんだろうと思います。

病理医が必要とされているのは病院。でもこれまでは大学で育った病理医が病院に
赴任するだけ、病院への人材供給は常に大学からでした。
でも、3年前からの新臨床研修制度で、医師の初期教育の場が大学から病院に
移行しています。だから、病院で病理医がもっと育ってもいいと思うんですけどね。

そういう私も目先のことで忙しがってばかりいないで、若い人をもっと勧誘しなくっちゃ。

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