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2006年11月 7日 (火)

演題締切・・・

気がついたら、来年の学会発表の演題申し込みが締め切られていた。

大ショック。
たいした内容じゃないけど、一応、オリジナルの演題と抄録を用意していたのに。
年に一回の病理学会総会に演題が出せないなんて・・・。
ますますダメ病理医になってしまったみたいで、ショックだ。

なんで締切の日時を忘れてたんだろう。
・・・いや、なんで、というのじゃなくて、まぁ、自分ではわかってる。
演題と抄録が出来上がった時点で、さっさと登録しとけば良かったんだ。
先延ばしするから、こんなことになる。
しかし登録するだけのまとまった時間がとれなかった、というのも事実。
業務用のPCはトラブッて入れ替えだったし。
登録締切当日は病理解剖と術中凍結3件が重複した、年に一度あるか
ないかの業務多忙な一日だった。

ここ2週間、ずっと体調が悪かったのも理由の一つ。
本業(病理診断)以外の仕事(大学、看護学校での病理の講義)が負担で、
この1ヶ月、講義の準備のために何度も徹夜してる。
たいした講義をしてる訳じゃないんだけどなぁ。
子供の相手も気が抜けない。明日はお弁当会。

・・・はぁ。過ぎたことを嘆いても仕方ない。
もっと内容を磨けたら磨いて、来年に備えよう。


9日に追記。
あきらめきれなくて学会事務局に問い合わせたら、追加登録できます、という。
嬉しくて涙が出そうになった。
送られてきた登録フォームを即座に埋めて返信し、登録完了。バンザイ!

真っ暗だった気分が一転、上機嫌になってしまった。
自分にとって病理学会総会への出題ってこんなに大事なことだったんだなぁ、と感心。
病理医としてのアイデンティティ、なのかな。
日常業務とはまた別の所にあるような、学問的発表の場としての病理学会に
発表する、受身ではなく参加してるという事が、こんなに大事だったとは。
田舎病院の勤務医にとって、学会発表はハレの席、お祭り。
どんなに自分が学会発表を楽しみにしていたか、を思い知った。

改めて、きちんとやろう、と思った。

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2006年11月 6日 (月)

発達障害の自己コーチング

発達障害を扱うやんばる先生(おなじ「やんばる」なのは偶然)のブログ
興味深く読んでいる。

以下、自己コーチングガイドに沿って、やってみた。

A.注意集中の持続、対象、調節がスムーズに出来るか?

できない。これは最も困っていることの一つ。
仕事中に電話がなってそれまでしていた仕事とはまた別の話になると、
元の仕事に思考を戻すのに大変苦労する。
出産以前は時間外、同僚が帰って電話もかかってこない時間になってから
仕事を集中的にしていた。
しかし育児負担もある現在はそれができず、時間の捻出に苦労している。

B.状況理解:場の雰囲気、「空気」をどう理解しているか?等

「空気」はそれなりに読んでいるつもり。
人々の表情、視線など、言語以外で表現される感情を努力して読むように
している。が、状況理解にはかなりの努力を必要とする。疲れる。
なんとなく、では通じにくく、努力を怠ると読めない。

しかし、努力すれば「空気を味方」にでき、その力は一個人の力を大きく
超えたものなので、努力してでも空気を読み、自分の考えの方向性と合う
場合には積極的に発言し、相手の反応をみながら、場を盛り上げる方向にもっていく。

中学校の部活動が吹奏楽部であり、共通点の乏しい個人が力をあわせて
(合奏)美しい音楽を作り上げる喜びを体験したことが、経験的には大きい。

場の雰囲気を保つために「何も発言しない」「意思表示をしない」方が
いいと思われるような場には自分が存在しない方がいい、と思う。
そのような場にいなくてはならないのは苦痛であり、時間の無駄とさえ思う。

C.言葉の理解:文字通りの理解、遠まわしな言い方や冗談が分かるか、
うそをつくか?等

文字通りの理解、で思い出すのは次のような失敗談。
眼科受診時に、視力検査を受けることになった。
「眼鏡をもっていますか?」と尋ねられ、ケースに入った眼鏡を出した。
「かけてください」と言われて、すぐ後ろにあった椅子に腰かけた。
戸惑った顔を相手がしているのに気づいて、こちらも間違いに気づき、赤面した。
自分としてはごく自然な行動だったのだが。
相手は眼鏡の話をしていたのに、椅子にかけるとは思わなかっただろう。
天然ボケ、と思ってもらえただろうか。

言語的コミュニケーションは好きで、行間を読むのも好きだが、他の人とは
違った視点で読んでいるらしい。
婉曲表現を理解できないことがある。自己流に解釈して失敗した経験も多い。

冗談は好きだが、後になってようやく理解できることも多い。
自分で言う冗談は基本的に「直球勝負」。直裁的表現で笑いをとりにいく。
たとえば喉を痛めて声が枯れている時。
ガラガラ声で「日頃はもっと美しい声なんですけど」と言うと、かなりの人が
笑ってくれる。

うそをついた場合(意識的、無意識的にも)はその後の矛盾がとても気になる。
持続的に整合性のある嘘をつくのは困難なので、嘘をつかないほうが楽。

D.物への執着:捨てられるか? 捨てられない理由は?

捨てられない。まだ用途が完了していないような気がする。
しかし見えていないものはないものと同様なので、一定期間しまいこんだままの
ものは努力して処分するようにしている。

E.時間認知:後悔するか? 首尾一貫性を重んじるか? 予定の変更に対応できるか? 等

基本的に後悔はしない。過ぎたことを変えることはできない。
悪い選択肢を自ら選び、失敗して悲しいできごとが生じた場合は、生じた時点で
過去となってしまっていることをまず認識する。
その次には、感情(誤った選択をしたことに対する無能感、結果が失敗したことの
悲しみ、など)の処理(泣く、悲しみに思いっきりひたる、など)をはかりつつ、
より建設的な将来への道筋のために現時点からできることを考える。
周囲への影響を先に考えることはなく、自分自身の内面的問題解決が常に優先され
るが、実際には周囲にも同様の感情(迷惑感を含む)を抱かせていることが多い
ということも知的には理解しているので、自分の問題と同時に周囲の感情にも
対処する。

首尾一貫性については、自分としては首尾一貫しているつもりでも、他者から
みたらそう思われないことがある、ということを理解している。
他人も自分も変化しうる存在であり、厳密な首尾一貫性は求められない。

予定の変更はつきものなので、できるだけ余裕をもたせた予定にしておく。

F.刺激を求める(ADHDの場合)、こだわり(ASの場合、偏食、服装、髪型や歯磨きなどの身体に関わるものなど)

PCゲームなどに「はまる」ことがある。数時間でも継続してやってしまう。
好きになった曲を数百回続けて繰り返し聞いてもまったく苦にならない。
しかしそれほど好きな曲でも、時間が経過すると忘れる。
こだわり?はそれなりにあるが、継続的なこだわりは少ないのでは。
髪型は数年ごとに変えている。

G.人への愛着・執着があるか? どのような執着か?

特定人物への執着は少ない。淋しがりやの面と、人間嫌いの面が共存している。
目の前にいる子供がたまらなく可愛く思えるときと、鬱陶しくてたまらないとき
とがあり、その振幅が激しい。恒常的に同じ接し方ができない。
こういう精神状態が、自分でも思い通りにならないことがある。欠点の一つ。

H.強迫観念、視線恐怖、対人不安、聴覚過敏等

現時点で特に思い当たるものはない。

・・・以上。
自己診断では私はADHDだと考えている。

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